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印象派は世界観を更新する
この1ヶ月ほどずっと印象派のNietzscheを聴いています。
これがものすごく良くて、100点満点で点数をつけろというなら一億万点くらいつけるし、5つ星で評価しろというなら夜空の星を左から右までぜんぶ並べるね。
あいにく今夜は曇り空なので星の代わりにマーブルチョコでも並べておこうか。

思えば、印象派をiTunesでうっかり試聴して震えたハートが6月、燃え尽きるほどヒートな7月を過ぎ、血液のビートが8月までのカウントダウンを刻み、ここにきてやっと印象派のなにがぐっとくるんだろうと考えてみたわけ。説明を試みたわけ。
やっぱり名前が漢字だってところがいちばんじゃないかな。

残念なことに印象派を絶賛するのにこの夜は短すぎるし、連ねる星も言葉も足りなすぎる。
長い話を短くするなら、鮮やかで印象的な歌詞とニューウェーブな音で構築されたSFチックな世界観に骨抜きッすよ?
小説で例えるなら飛浩隆のグランヴァカンス、サンライズアニメで例えるならゼーガペイン。
ばらばらな場面を歌っているけども最後まで途切れない統一感は、水っぽいイメージが共通することもあるだろうし、生身感のない表現で「わたしのアバター」とその後ろに隠れた「わたし」を感じさせるところかもしれない。

最後のoutで到達する現実世界を底に置き、その上に重ねたレイヤーの上での出来事、もしくは併存する区界での出来事を、「わたしのアバター」、もしくは、「情報的似姿」、が、語っている、とすれば、いま、現実と呼んでいる世界と、データで表される、仮想現実の世界、の、二重写し、こそがNietzscheの、世界観、で、、、それはおそらく、攻殻機動隊やサマーウォーズや、アニメや小説や映画では、多く扱われてきた、題材であって、、印象派の、体からちょっと距離を感じる言葉、によって、表現されてるんだろうなって気がする、そういう仮想的な「わたし」と、「わたしn」の関係ってのが、最近になってそのように解釈されるようになった世界観で、それが、印象派が更新しちゃった世界観じゃないのか、なー、、、なんて、そんな、気がしませんか(これアカンやつや、練れてないなら削除するパターンのやつや)

なんにしろなんでもっと早く見つけておかなかったのかとは思うよ。

ホームページの謎のカウントダウンもあと1日をきったことだし、なにが起きるか待ち。
今のこの時代にそれほど驚くようなことも起こらないだろうという気はするけども。
まさかの初音ミク加入。




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今んとこはまあそんな感じ
やあやあそっちの暮らしはどうだい?
今は仙台まで帰る途中、盛岡発の新幹線の中でこれを書いている。
まあそんな設定は嘘かもしれないし、 これから書く内容も嘘かもしれない。
日本に帰る途中でサンクトペテルブルクに向かうシベリア鉄道の車内で書いているかもしれないし、京都から遠くに送られて無聊を慰めるために書いているかもしれないし、宇宙の彼方で秘密の唄でも口ずさみながら書いているかもしれない。
そもそも人間が書いているとは限らないし、文章だけ吐きつづけるbotが言葉を並べつづけているだけかもしれない。
なんだっけ電子の海から自我を持ったプログラムが発生した話。ラブマシーンじゃなくて。たぶん初音ミクだ。それか3人の彼女たち。

それはさておき。
小田和正じゃないけれど、なにから伝えればいいのかわからないまま時は流れたんだ、なぁ、、、
これあれよ、この前のマームで、中島みゆきじゃないけれど〜の言い回しが気に入ったので、これから積極的に使っていこうと思って、そんな感じで、、、進めていこうと、、、思い、、、まーす。


今週は盛岡にいて、盛岡といったらわんこそばでしょって、わんこそばを食べていたり、冷麺を食べていたり、クラムボンのコーヒーを飲んでいたり。
盛岡はあんまり来ないから、なにかおいしいものはって聞かれても、わんこそばと、じゃじゃ麺と、あとは冷麺、くらいしか思いつかなくて、麺以外ないんですかって麺以外思いつかないんだけど、寒いとあまり米作りにむいてないから、小麦粉使った粉物やそばとか麺類文化が発達したらしいよ。
五十嵐大介がリトルフォレストで描いていたいろいろを作って食べてみるのもよさそうだ。


さっき花巻、通過。
前に花巻にある宮沢賢治記念館も行ってみるとよいところだった。
今までに銀河鉄道の夜とか、注文の多い料理店やよだかの星やその他短編などなどひととおり読んではいたけど、宮沢賢治ってそんなに好きじゃなかったけどさ。
それに宮沢賢治って革命力の高い学生運動系女子が好みそうじゃあないか。
それが花巻の記念館に行くとそんな見方は変わるし、なかなか興味深い人物であるし、賢治はなかなかいいことを書いている。



そういえば。
最近はあまちゃんがおもしろくて一生懸命に見ている。
宮沢賢治じゃないけれど、雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さには毎年負けそうになるけども、1日に2回のあまちゃんを見、東に病気の子供あれば行ってあまちゃんを見せ、西に疲れた母あれば行って一緒にあまちゃんを見て、南に死にそうな人あればあまちゃんの最終回はまだこれからだといい、北に喧嘩や訴訟があればじぇじぇじぇ!と驚き、そういうひとになりそうなくらい。
東北弁にはまだ慣れないから最近はあまちゃん見ながら「すまださん、せんすーふっこすますたよ!」って練習してる。いややっぱりそんなしてないわ。



こっちに来るようになって車で走り回っているので、だいぶ東北地方詳しくなった。
仙台からだと石巻、女川、気仙沼、陸前高田、あたりが車で2時間3時間かな。
女川は去年の末から行ってないけど、秋元康が駅周辺をプロデュースするなんてどうなるのかね。ONG48でもデビューするのかな。
ただあまちゃんの里、北三陸市にはまだたどり着けていない。
まあ眺めているとあの後すっかり広い空き地とたくさんのがれきの山ができて、夏には草が茂って冬には雪が積もって建物の跡なんて隠してしまって、新しい建物ができてきたりして、前の町並みはgoogleストリートビューと古いカーナビの中に残っているけども、どこになにがあったかもそのうち忘れてしまうんでしょうね。



一ノ関を過ぎてそろそろ小説家古橋健二が吉里吉里国独立騒動に巻き込まれたあたりじゃないか。
こっち決まってから今さらながら井上ひさしの吉里吉里人を読んで、あれはすばらしい小説だった。
未読だったら読んだほうがいいし既読だったら再読したほうがいい。
池沢夏樹のスティルライフやオーウェルの動物農場と同じく最上級に置くね。
井上ひさしといえば、ひょっこりひょうたん島のオリジナルはビデオがほとんど残ってないし台本も散逸してしまってたというの読んで、文化的損失!文化的損失!って言いながらわんこそば食べてた。
蓄積とアーカイブが重要だって話。


仙台に着いたらとりあえず牛タン食べるかな。
萩の月はおいしい。白松がモナカとヨーカンは20年くらい気になっているけどまだ食べたことはない。
仙台気に入ってるしいろいろイベントもあるし、夏の間は東京にいるけども、まだしばらくは東北ぐるぐるしてるはず。
セクシーボイスじゃないけれど、そりゃあハッピーエンドが見たいもの。

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後藤さんを待ちながら
人間には隠された特殊能力が、なにかのきっかけで開花することがありますな。
ジョジョで言うところのスタンドとか、ペルソナで言うところのペルソナ発動みたいな、ワンピースだとなんとかの実を食べたら手が伸びるようになったとか、X-MENで例えれば爪が伸びるのめっちゃ早いとかあるわけです。

例えば個人的な経験から言えば、去年の12月30日の夜に、潜在的なポテンシャルみたいなのが花開いたわけだ。

それがなにかっていうと、「ポケモンがやたらうまく描ける」っていう能力。

この能力がなんの役に立ったかって、甥っ子がやたら喜んだくらいしかないのですが、実は因果がめぐりめぐって今日のこの2011年10月28日、マヤ暦で人類滅亡が予言されてたなんて噂のこの日に滅亡を回避したのは、そういう去年の12月30日のリキッドルームで、ミドリの解散ライブを見たことによって覚醒した人たちのなんやかやが積み重なって、その結果で滅亡を回避したのかもしれないじゃないですか。

これが世に言うフィッシュストーリー。



気がすんだので本題に入ると、後藤さんを待っていました。
12月27日に渋谷O-EASTで主催イベント Don't disturb me!! やります。
初日の電話予約でチケット確保済み。

解散ライブのあとにクリトリック・リスのスギムが出てきて後藤まりこUFO CLUBでやろう!なんて言ってるのを見てなんで大阪人はこう最後の最後に吉本新喜劇的なノリを出してしまうんだろうと考えてしまったのですがソロでもバンドでもUFO CLUBあたりでやってくれればこんなに嬉しいことはないですわね。

(ちょっと後藤さんのUst始まったんで見なきゃ!)

風呂ロックで見たソロがすばらしすぎたのでまたああいうフォークなソロをUFO CLUBあたりでやってほしいのですがこのイベントではどうなるんですかね。

(けっこうごっついバンドでやるって言ってる!)

なんにしても楽しみなイベントですな。
回避すべきは地球の滅亡よりも忘年会だ。


そのあたりのコンビニでコピーしてきましたみたいなチラシなんだけど久しぶりにあの界隈に行ったらnest下のam/pmがなくなっていた。

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くりかえされる8月32日 よみがえれぼくのなつやすみ(4周目)
 暑い暑いと繰り返していたら8月が終わりまだまだ残暑が厳しいと汗を流していたら台風が9月をお持ち帰りして10月。涼しくもなったしもうこのまま秋が続けばいいじゃないか。いっそのこと。

 ☆

 そういえば神聖かまってちゃんの新曲を聴いたらの子の中で問題に答えが出て夏休みが終わったんじゃないかという話がしたかったんだった。

 要はの子が自分語りをする時期はとっくに終わって他人から共感される存在から他人に共感してあげる存在に変わっちゃったんじゃないかって話。

 なんで忘れてたかって思いついたときにはおもしろそうな気がしてたけどたいしておもしろくもなかったしなによりもう飽きた。

 ☆

 神聖かまってちゃんがなんでヒットしたのって話になると「ネットでの話題作り」と「共感」ってのが必ず入ってくるキーワードで、ナタリーでもなんの記事でも必ず出てくるような気がします。そういえばカミスンではひきこもり経験を歌って若者の共感を呼び大ヒット、みたいな紹介のしかたをしてましたね。

 神聖かまってちゃんが共感されて大ヒットってそりゃそうなんだろうけど今までの神聖かまってちゃんを見てるとの子は共感を得ようとはまったくしてなくて好き勝手にやってたら聞く人が勝手に共感していたように見える。例えば「死ね」はの子の言葉であっての子がそう言ったら「死ね」って思ってたけど実際に言えなかった人が自分の言えなかった事を言ってくれた、と代弁者扱いをする、の子も同じことを思ってた、と共感する。けっきょくの子の自分語りに自分を投影させての子の歌詞や言動を通じて自分で自分に共感してるように見えなくもないのですが。の子のストーリーが聴く人自身のストーリーになってた。

 まあそうするとナタリーを始めネットの音楽系サイトでも若者の共感を得て熱狂的な支持を得たって反応はそりゃそうだと。共感されてヒットしましたなんて誰かが大ヒットとばすたんびにその理由は共感されたからで片が付いちゃうんであんまりおもしろい理由でもないんだけど実際にそうなのかなあと。神聖かまってちゃんに共感するってよくわかりませんがそういう人もいるんだろうなと。

 それよりはたまに神がかった曲を作るとか高い音楽性がうけたという説明のほうがそうだよねえって思う。けーどーもー、たくさんの人が神聖かまってちゃんに共感してるということにしないと話が進まないのでねえ。

 ☆

 なんの話かって9月の末にYouTubeにアップした「鳥みたくあるいてこっ」と「ベルセウスの空」、その後1週間ほどしてもう1曲アップした「友達なんていらない死ね」の3曲を聴いての感想。

 この3曲、曲調は相変わらずの神聖かまってちゃんの曲で、ということは好きではない。神聖かまってちゃんを聴いててもだいたいはまとまりがないというか、通して聴くとものすごく散らかってるとか、歌詞やメロディーがものすごく一本道な印象が強いんであまりおもしろみを感じないし1曲通して聴くのも飽きてしまう。黒いたまごや夜空の虫とどこまでもを聴くと天才だとしか思えないし美ちなる方へや死にたい季節なんてすごくいい曲なのになぜかだいたいの曲は「つまんね」としか思えない。この「つまんね」が深夜のファミレスで消費される郊外の退屈なんだよって言われるとなるほどそれっぽいねえと思うけどそういう退屈にはなるべくお近づきにはなりたくないですわね。

 一方で歌詞を読むとこれまでとずいぶんと印象が変わっている。

 特に鳥みたいにあるいてこっではの子が聞く人に対してものすごく歩み寄ってる気はします。君たちのこともわかるよって共感してあげるよって世の中は厳しいけど一緒に歩いて行こうって語りかけているようにしか聴こえなかった。はーこんなこと言うんだって。今までは「ぼく=の子」でしかなかったのが「ぼく=神聖かまってちゃんを聴いている人」にもなるように意識してるのかなと。しかも観察してるだけでは君がいるストーリーに僕は会えないというようなことを歌うとは思わなかった。動かないと僕は君に会えないし君も僕に会えないってなんか前向きになったじゃないですか。少女ファイトで由良木が俺もサラちゃんの世界の登場人物になりたいみたいなことを言ってたのを思い出しますね。

 ベルセウスの空はたぶん物語を語ろうとしている。けっきょくの子の自分語りなのかもしれないけど、死ぬとか死ねとか死にたいとか直接的に歌ってたり自分の問題やら悩みやらを具体的に歌ってたりしてたのがここでは抽象的に語ることで問題意識の小ささをもっと普遍的とか一般的とか大きなところに持って行こうとしたのかなと。よくわかんないんだけどさあ、それっぽいじゃないですかそういう説明すると。私小説的であるとするならフィクションの配分が大きい。曲調もゲーム音楽とかアニメソング的な壮大さを感じるんで物語を語ろうとする意識があるような気がする。DJみさこがサンホラ好きだって言ってたんで曲にストーリー性をもたせようとした気がする。

 ただこの2曲って言葉づかいがクリシェっぽい感じはします。言葉の組み合わせのおもしろみは感じない。こういうクリシェがカモフラージュで実はその比喩で解釈するとわからない何かがあるんだよってそこまでうがった見方をする必要はなくて、なぜならばそこまでするとの子にしかわからないってことになってそれを独りよがりと呼ぶんだよね。従来の解釈するフレームから飛び出したいるから従来の解釈が成り立たない、新しい表現の地平を開いたとかそんな感じのことどっかに書いてありそうじゃないですか、でもそこまでぐちゃぐちゃ言わないと肯定できないってのは実はそんなにおもしろくないんじゃないのって気はしてる。悪く言えば陳腐なんだけど良く言えば他人に伝わることを最優先して独りよがりから脱却した。

 この2曲のあとだと友達なんていらない死ねは死ねがファンサービスになってるんじゃないのかなって。歌詞を読むと夕方のピアノみたいに誰かに死ねと言ってるのではないと思うので。タンバリンで首を吊って死んじゃった君に捧げるなんとかじゃんね。たぶん。要はの子が死ねって思ったから死ねって歌ってるんじゃなくてぼくはもうその時期は過ぎたけどきみたちは死ねって言いたい相手がいる、だから代わりにぼくが叫んでやるよってのがたぶん今。

 ☆

 ひとことで言えばの子ってもう今までの問題に答えが出ちゃったんだなって。みんなが大好きな新世紀エヴァンゲリオンで例えると、テレビ版の最終回でシンジくんがおめでとう!ってみんなに言われて拍手された、あの状態をすぎたんじゃないかなと。だからと言ってまだわからないお前らばかとか言わずに君たちはこう考えてるんだよねっていうところに行ったような気がする。

 の子のなにがどう変わったかどうかはおいといて、僕が行くか行かないのかってだけでストーリーには2ページ目があるなんて歌ったらそりゃの子はストーリーの2ページ目に行ったんだよねって思いますよね。代弁者であることを自覚して振る舞ってる、でその状態で作った曲がこの3曲ってなればなるほどねーって。

 そういえば昔々の話になるけどいがらしみきおのぼのぼのが好きな男の子が言っていた。「ぼのぼのはぼくのやりたいことを代わりにやってくれる」。実はぼのぼのまったくと言っていいほど読んでないんでこの少年の言葉の意味がいまだによくわかりませんが、神聖かまってちゃんもそういうバンドなんじゃないのかなって。の子=ぼのぼのでそんなに外れてない気がする。

 ☆

 最近いろいろと愚痴を言ってても始まらないので心を入れ替えて「floating view 郊外からうまれるアート」なんて読んでみたりしてて、ここまで筆舌を尽くさないと肯定できない郊外ってなによってやっぱりだめじゃんって思いを新たにしました。そもそもアートがうまれるのに郊外をポジティブに捉える必要なんてなくてそれこそみんな死ねとかつまんねとかお前ら嫌いとか滅びろとかそんなネガティブな感情でもアートになるんじゃないのって。神聖かまってちゃんがわからないなんて言ってる人は郊外に住むか千葉ニュータウンにでも巡礼に行くとよくわかるようになると思います。

 なので郊外からうまれるアート、なんてのがあるとしたら神聖かまってちゃんはたぶん最先端ですね。

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アゴラの支援会員になる
 

今月末から始まる青年団のソウル市民5部作連続上演に合わせてこまばアゴラの支援会員になりました。
会員になって行くほうが金銭的に安いというきわめて現実的かつ妥当な判断ですね!
短期間に5本観ることが現実的かつ妥当な判断かはおいといて。

今までで行った回数がいちばん多い劇場はこまばアゴラ。
これは間違いない。

今までで観た回数がいちばん多い劇団は青年団だと思います。
最近だとバルカン動物園は行った。
革命日記は行けなかった。
その前のカガクするココロと北限の猿は行った。
多いっていっても実はそれほど多くないな。

でもソウル市民はテレビ放送で1回見たことがあるかないかくらい。
5部作のうち4作は初見。
東京ノートもテレビ放送を見ただけなので再演あれば行きたいのですがないね。
そういえば1990年代のあの頃だとNHKのBSの深夜の映画と演劇の放送ばっかり見てたんでした。

一緒にもらった会員通信にはマームとジプシーの藤田貴大インタビューが載ってました。
先週末アゴラにマームとジプシーの「Kと真夜中のほとりで」を衝動的に観に行ったらこれがものすごくおもしろくて、好みにもばっちり合ってたし、マームとジプシーの話しかする気にならないですね。今ね。

まあついにアゴラの支援会員になったって話なんだけど先週末アゴラに衝動的に観に行ったマームとジプシーがものすごくおもしろくてさぁ、

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