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印象派は世界観を更新する
この1ヶ月ほどずっと印象派のNietzscheを聴いています。
これがものすごく良くて、100点満点で点数をつけろというなら一億万点くらいつけるし、5つ星で評価しろというなら夜空の星を左から右までぜんぶ並べるね。
あいにく今夜は曇り空なので星の代わりにマーブルチョコでも並べておこうか。

思えば、印象派をiTunesでうっかり試聴して震えたハートが6月、燃え尽きるほどヒートな7月を過ぎ、血液のビートが8月までのカウントダウンを刻み、ここにきてやっと印象派のなにがぐっとくるんだろうと考えてみたわけ。説明を試みたわけ。
やっぱり名前が漢字だってところがいちばんじゃないかな。

残念なことに印象派を絶賛するのにこの夜は短すぎるし、連ねる星も言葉も足りなすぎる。
長い話を短くするなら、鮮やかで印象的な歌詞とニューウェーブな音で構築されたSFチックな世界観に骨抜きッすよ?
小説で例えるなら飛浩隆のグランヴァカンス、サンライズアニメで例えるならゼーガペイン。
ばらばらな場面を歌っているけども最後まで途切れない統一感は、水っぽいイメージが共通することもあるだろうし、生身感のない表現で「わたしのアバター」とその後ろに隠れた「わたし」を感じさせるところかもしれない。

最後のoutで到達する現実世界を底に置き、その上に重ねたレイヤーの上での出来事、もしくは併存する区界での出来事を、「わたしのアバター」、もしくは、「情報的似姿」、が、語っている、とすれば、いま、現実と呼んでいる世界と、データで表される、仮想現実の世界、の、二重写し、こそがNietzscheの、世界観、で、、、それはおそらく、攻殻機動隊やサマーウォーズや、アニメや小説や映画では、多く扱われてきた、題材であって、、印象派の、体からちょっと距離を感じる言葉、によって、表現されてるんだろうなって気がする、そういう仮想的な「わたし」と、「わたしn」の関係ってのが、最近になってそのように解釈されるようになった世界観で、それが、印象派が更新しちゃった世界観じゃないのか、なー、、、なんて、そんな、気がしませんか(これアカンやつや、練れてないなら削除するパターンのやつや)

なんにしろなんでもっと早く見つけておかなかったのかとは思うよ。

ホームページの謎のカウントダウンもあと1日をきったことだし、なにが起きるか待ち。
今のこの時代にそれほど驚くようなことも起こらないだろうという気はするけども。
まさかの初音ミク加入。




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今んとこはまあそんな感じ
やあやあそっちの暮らしはどうだい?
今は仙台まで帰る途中、盛岡発の新幹線の中でこれを書いている。
まあそんな設定は嘘かもしれないし、 これから書く内容も嘘かもしれない。
日本に帰る途中でサンクトペテルブルクに向かうシベリア鉄道の車内で書いているかもしれないし、京都から遠くに送られて無聊を慰めるために書いているかもしれないし、宇宙の彼方で秘密の唄でも口ずさみながら書いているかもしれない。
そもそも人間が書いているとは限らないし、文章だけ吐きつづけるbotが言葉を並べつづけているだけかもしれない。
なんだっけ電子の海から自我を持ったプログラムが発生した話。ラブマシーンじゃなくて。たぶん初音ミクだ。それか3人の彼女たち。

それはさておき。
小田和正じゃないけれど、なにから伝えればいいのかわからないまま時は流れたんだ、なぁ、、、
これあれよ、この前のマームで、中島みゆきじゃないけれど〜の言い回しが気に入ったので、これから積極的に使っていこうと思って、そんな感じで、、、進めていこうと、、、思い、、、まーす。


今週は盛岡にいて、盛岡といったらわんこそばでしょって、わんこそばを食べていたり、冷麺を食べていたり、クラムボンのコーヒーを飲んでいたり。
盛岡はあんまり来ないから、なにかおいしいものはって聞かれても、わんこそばと、じゃじゃ麺と、あとは冷麺、くらいしか思いつかなくて、麺以外ないんですかって麺以外思いつかないんだけど、寒いとあまり米作りにむいてないから、小麦粉使った粉物やそばとか麺類文化が発達したらしいよ。
五十嵐大介がリトルフォレストで描いていたいろいろを作って食べてみるのもよさそうだ。


さっき花巻、通過。
前に花巻にある宮沢賢治記念館も行ってみるとよいところだった。
今までに銀河鉄道の夜とか、注文の多い料理店やよだかの星やその他短編などなどひととおり読んではいたけど、宮沢賢治ってそんなに好きじゃなかったけどさ。
それに宮沢賢治って革命力の高い学生運動系女子が好みそうじゃあないか。
それが花巻の記念館に行くとそんな見方は変わるし、なかなか興味深い人物であるし、賢治はなかなかいいことを書いている。



そういえば。
最近はあまちゃんがおもしろくて一生懸命に見ている。
宮沢賢治じゃないけれど、雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さには毎年負けそうになるけども、1日に2回のあまちゃんを見、東に病気の子供あれば行ってあまちゃんを見せ、西に疲れた母あれば行って一緒にあまちゃんを見て、南に死にそうな人あればあまちゃんの最終回はまだこれからだといい、北に喧嘩や訴訟があればじぇじぇじぇ!と驚き、そういうひとになりそうなくらい。
東北弁にはまだ慣れないから最近はあまちゃん見ながら「すまださん、せんすーふっこすますたよ!」って練習してる。いややっぱりそんなしてないわ。



こっちに来るようになって車で走り回っているので、だいぶ東北地方詳しくなった。
仙台からだと石巻、女川、気仙沼、陸前高田、あたりが車で2時間3時間かな。
女川は去年の末から行ってないけど、秋元康が駅周辺をプロデュースするなんてどうなるのかね。ONG48でもデビューするのかな。
ただあまちゃんの里、北三陸市にはまだたどり着けていない。
まあ眺めているとあの後すっかり広い空き地とたくさんのがれきの山ができて、夏には草が茂って冬には雪が積もって建物の跡なんて隠してしまって、新しい建物ができてきたりして、前の町並みはgoogleストリートビューと古いカーナビの中に残っているけども、どこになにがあったかもそのうち忘れてしまうんでしょうね。



一ノ関を過ぎてそろそろ小説家古橋健二が吉里吉里国独立騒動に巻き込まれたあたりじゃないか。
こっち決まってから今さらながら井上ひさしの吉里吉里人を読んで、あれはすばらしい小説だった。
未読だったら読んだほうがいいし既読だったら再読したほうがいい。
池沢夏樹のスティルライフやオーウェルの動物農場と同じく最上級に置くね。
井上ひさしといえば、ひょっこりひょうたん島のオリジナルはビデオがほとんど残ってないし台本も散逸してしまってたというの読んで、文化的損失!文化的損失!って言いながらわんこそば食べてた。
蓄積とアーカイブが重要だって話。


仙台に着いたらとりあえず牛タン食べるかな。
萩の月はおいしい。白松がモナカとヨーカンは20年くらい気になっているけどまだ食べたことはない。
仙台気に入ってるしいろいろイベントもあるし、夏の間は東京にいるけども、まだしばらくは東北ぐるぐるしてるはず。
セクシーボイスじゃないけれど、そりゃあハッピーエンドが見たいもの。

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後藤さんを待ちながら
人間には隠された特殊能力が、なにかのきっかけで開花することがありますな。
ジョジョで言うところのスタンドとか、ペルソナで言うところのペルソナ発動みたいな、ワンピースだとなんとかの実を食べたら手が伸びるようになったとか、X-MENで例えれば爪が伸びるのめっちゃ早いとかあるわけです。

例えば個人的な経験から言えば、去年の12月30日の夜に、潜在的なポテンシャルみたいなのが花開いたわけだ。

それがなにかっていうと、「ポケモンがやたらうまく描ける」っていう能力。

この能力がなんの役に立ったかって、甥っ子がやたら喜んだくらいしかないのですが、実は因果がめぐりめぐって今日のこの2011年10月28日、マヤ暦で人類滅亡が予言されてたなんて噂のこの日に滅亡を回避したのは、そういう去年の12月30日のリキッドルームで、ミドリの解散ライブを見たことによって覚醒した人たちのなんやかやが積み重なって、その結果で滅亡を回避したのかもしれないじゃないですか。

これが世に言うフィッシュストーリー。



気がすんだので本題に入ると、後藤さんを待っていました。
12月27日に渋谷O-EASTで主催イベント Don't disturb me!! やります。
初日の電話予約でチケット確保済み。

解散ライブのあとにクリトリック・リスのスギムが出てきて後藤まりこUFO CLUBでやろう!なんて言ってるのを見てなんで大阪人はこう最後の最後に吉本新喜劇的なノリを出してしまうんだろうと考えてしまったのですがソロでもバンドでもUFO CLUBあたりでやってくれればこんなに嬉しいことはないですわね。

(ちょっと後藤さんのUst始まったんで見なきゃ!)

風呂ロックで見たソロがすばらしすぎたのでまたああいうフォークなソロをUFO CLUBあたりでやってほしいのですがこのイベントではどうなるんですかね。

(けっこうごっついバンドでやるって言ってる!)

なんにしても楽しみなイベントですな。
回避すべきは地球の滅亡よりも忘年会だ。


そのあたりのコンビニでコピーしてきましたみたいなチラシなんだけど久しぶりにあの界隈に行ったらnest下のam/pmがなくなっていた。

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くりかえされる8月32日 よみがえれぼくのなつやすみ(4周目)
 暑い暑いと繰り返していたら8月が終わりまだまだ残暑が厳しいと汗を流していたら台風が9月をお持ち帰りして10月。涼しくもなったしもうこのまま秋が続けばいいじゃないか。いっそのこと。

 ☆

 そういえば神聖かまってちゃんの新曲を聴いたらの子の中で問題に答えが出て夏休みが終わったんじゃないかという話がしたかったんだった。

 要はの子が自分語りをする時期はとっくに終わって他人から共感される存在から他人に共感してあげる存在に変わっちゃったんじゃないかって話。

 なんで忘れてたかって思いついたときにはおもしろそうな気がしてたけどたいしておもしろくもなかったしなによりもう飽きた。

 ☆

 神聖かまってちゃんがなんでヒットしたのって話になると「ネットでの話題作り」と「共感」ってのが必ず入ってくるキーワードで、ナタリーでもなんの記事でも必ず出てくるような気がします。そういえばカミスンではひきこもり経験を歌って若者の共感を呼び大ヒット、みたいな紹介のしかたをしてましたね。

 神聖かまってちゃんが共感されて大ヒットってそりゃそうなんだろうけど今までの神聖かまってちゃんを見てるとの子は共感を得ようとはまったくしてなくて好き勝手にやってたら聞く人が勝手に共感していたように見える。例えば「死ね」はの子の言葉であっての子がそう言ったら「死ね」って思ってたけど実際に言えなかった人が自分の言えなかった事を言ってくれた、と代弁者扱いをする、の子も同じことを思ってた、と共感する。けっきょくの子の自分語りに自分を投影させての子の歌詞や言動を通じて自分で自分に共感してるように見えなくもないのですが。の子のストーリーが聴く人自身のストーリーになってた。

 まあそうするとナタリーを始めネットの音楽系サイトでも若者の共感を得て熱狂的な支持を得たって反応はそりゃそうだと。共感されてヒットしましたなんて誰かが大ヒットとばすたんびにその理由は共感されたからで片が付いちゃうんであんまりおもしろい理由でもないんだけど実際にそうなのかなあと。神聖かまってちゃんに共感するってよくわかりませんがそういう人もいるんだろうなと。

 それよりはたまに神がかった曲を作るとか高い音楽性がうけたという説明のほうがそうだよねえって思う。けーどーもー、たくさんの人が神聖かまってちゃんに共感してるということにしないと話が進まないのでねえ。

 ☆

 なんの話かって9月の末にYouTubeにアップした「鳥みたくあるいてこっ」と「ベルセウスの空」、その後1週間ほどしてもう1曲アップした「友達なんていらない死ね」の3曲を聴いての感想。

 この3曲、曲調は相変わらずの神聖かまってちゃんの曲で、ということは好きではない。神聖かまってちゃんを聴いててもだいたいはまとまりがないというか、通して聴くとものすごく散らかってるとか、歌詞やメロディーがものすごく一本道な印象が強いんであまりおもしろみを感じないし1曲通して聴くのも飽きてしまう。黒いたまごや夜空の虫とどこまでもを聴くと天才だとしか思えないし美ちなる方へや死にたい季節なんてすごくいい曲なのになぜかだいたいの曲は「つまんね」としか思えない。この「つまんね」が深夜のファミレスで消費される郊外の退屈なんだよって言われるとなるほどそれっぽいねえと思うけどそういう退屈にはなるべくお近づきにはなりたくないですわね。

 一方で歌詞を読むとこれまでとずいぶんと印象が変わっている。

 特に鳥みたいにあるいてこっではの子が聞く人に対してものすごく歩み寄ってる気はします。君たちのこともわかるよって共感してあげるよって世の中は厳しいけど一緒に歩いて行こうって語りかけているようにしか聴こえなかった。はーこんなこと言うんだって。今までは「ぼく=の子」でしかなかったのが「ぼく=神聖かまってちゃんを聴いている人」にもなるように意識してるのかなと。しかも観察してるだけでは君がいるストーリーに僕は会えないというようなことを歌うとは思わなかった。動かないと僕は君に会えないし君も僕に会えないってなんか前向きになったじゃないですか。少女ファイトで由良木が俺もサラちゃんの世界の登場人物になりたいみたいなことを言ってたのを思い出しますね。

 ベルセウスの空はたぶん物語を語ろうとしている。けっきょくの子の自分語りなのかもしれないけど、死ぬとか死ねとか死にたいとか直接的に歌ってたり自分の問題やら悩みやらを具体的に歌ってたりしてたのがここでは抽象的に語ることで問題意識の小ささをもっと普遍的とか一般的とか大きなところに持って行こうとしたのかなと。よくわかんないんだけどさあ、それっぽいじゃないですかそういう説明すると。私小説的であるとするならフィクションの配分が大きい。曲調もゲーム音楽とかアニメソング的な壮大さを感じるんで物語を語ろうとする意識があるような気がする。DJみさこがサンホラ好きだって言ってたんで曲にストーリー性をもたせようとした気がする。

 ただこの2曲って言葉づかいがクリシェっぽい感じはします。言葉の組み合わせのおもしろみは感じない。こういうクリシェがカモフラージュで実はその比喩で解釈するとわからない何かがあるんだよってそこまでうがった見方をする必要はなくて、なぜならばそこまでするとの子にしかわからないってことになってそれを独りよがりと呼ぶんだよね。従来の解釈するフレームから飛び出したいるから従来の解釈が成り立たない、新しい表現の地平を開いたとかそんな感じのことどっかに書いてありそうじゃないですか、でもそこまでぐちゃぐちゃ言わないと肯定できないってのは実はそんなにおもしろくないんじゃないのって気はしてる。悪く言えば陳腐なんだけど良く言えば他人に伝わることを最優先して独りよがりから脱却した。

 この2曲のあとだと友達なんていらない死ねは死ねがファンサービスになってるんじゃないのかなって。歌詞を読むと夕方のピアノみたいに誰かに死ねと言ってるのではないと思うので。タンバリンで首を吊って死んじゃった君に捧げるなんとかじゃんね。たぶん。要はの子が死ねって思ったから死ねって歌ってるんじゃなくてぼくはもうその時期は過ぎたけどきみたちは死ねって言いたい相手がいる、だから代わりにぼくが叫んでやるよってのがたぶん今。

 ☆

 ひとことで言えばの子ってもう今までの問題に答えが出ちゃったんだなって。みんなが大好きな新世紀エヴァンゲリオンで例えると、テレビ版の最終回でシンジくんがおめでとう!ってみんなに言われて拍手された、あの状態をすぎたんじゃないかなと。だからと言ってまだわからないお前らばかとか言わずに君たちはこう考えてるんだよねっていうところに行ったような気がする。

 の子のなにがどう変わったかどうかはおいといて、僕が行くか行かないのかってだけでストーリーには2ページ目があるなんて歌ったらそりゃの子はストーリーの2ページ目に行ったんだよねって思いますよね。代弁者であることを自覚して振る舞ってる、でその状態で作った曲がこの3曲ってなればなるほどねーって。

 そういえば昔々の話になるけどいがらしみきおのぼのぼのが好きな男の子が言っていた。「ぼのぼのはぼくのやりたいことを代わりにやってくれる」。実はぼのぼのまったくと言っていいほど読んでないんでこの少年の言葉の意味がいまだによくわかりませんが、神聖かまってちゃんもそういうバンドなんじゃないのかなって。の子=ぼのぼのでそんなに外れてない気がする。

 ☆

 最近いろいろと愚痴を言ってても始まらないので心を入れ替えて「floating view 郊外からうまれるアート」なんて読んでみたりしてて、ここまで筆舌を尽くさないと肯定できない郊外ってなによってやっぱりだめじゃんって思いを新たにしました。そもそもアートがうまれるのに郊外をポジティブに捉える必要なんてなくてそれこそみんな死ねとかつまんねとかお前ら嫌いとか滅びろとかそんなネガティブな感情でもアートになるんじゃないのって。神聖かまってちゃんがわからないなんて言ってる人は郊外に住むか千葉ニュータウンにでも巡礼に行くとよくわかるようになると思います。

 なので郊外からうまれるアート、なんてのがあるとしたら神聖かまってちゃんはたぶん最先端ですね。

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アゴラの支援会員になる
 

今月末から始まる青年団のソウル市民5部作連続上演に合わせてこまばアゴラの支援会員になりました。
会員になって行くほうが金銭的に安いというきわめて現実的かつ妥当な判断ですね!
短期間に5本観ることが現実的かつ妥当な判断かはおいといて。

今までで行った回数がいちばん多い劇場はこまばアゴラ。
これは間違いない。

今までで観た回数がいちばん多い劇団は青年団だと思います。
最近だとバルカン動物園は行った。
革命日記は行けなかった。
その前のカガクするココロと北限の猿は行った。
多いっていっても実はそれほど多くないな。

でもソウル市民はテレビ放送で1回見たことがあるかないかくらい。
5部作のうち4作は初見。
東京ノートもテレビ放送を見ただけなので再演あれば行きたいのですがないね。
そういえば1990年代のあの頃だとNHKのBSの深夜の映画と演劇の放送ばっかり見てたんでした。

一緒にもらった会員通信にはマームとジプシーの藤田貴大インタビューが載ってました。
先週末アゴラにマームとジプシーの「Kと真夜中のほとりで」を衝動的に観に行ったらこれがものすごくおもしろくて、好みにもばっちり合ってたし、マームとジプシーの話しかする気にならないですね。今ね。

まあついにアゴラの支援会員になったって話なんだけど先週末アゴラに衝動的に観に行ったマームとジプシーがものすごくおもしろくてさぁ、

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くりかえされる8月32日 よみがえれぼくのなつやすみ(2周目)
 まったく生産性のかけらもなく8月が終わって9月もそろそろ終わり、振り返ってみれば8月は暑い暑いで9月に入っても暑い暑いで台風が来て過ぎていったら少し寒くなりすぎだ。関東平野の天候は加減というものを知らない。もう秋を通り越して冬でもいいじゃないか。いっそのこと。

 ☆

 はてさて1ヶ月もブログもさぼってなぜならばって忙しかったからでそうするとネットの世界に埋没することもできず、日々の閉塞感を打破するためにも遊びに出ねばならず、この無限に続くかのように思える時間のわずかな一部分である我が人生の有限の時間をどのように振り分ければ有意義な余生が送れるかを考えたときにちょっと優先順位が低かった。

 やっぱりネットが普及したことによって個々人の時間の振り分け方が変わってしまってテレビ離れが進んだとか言われてるじゃないですか[要出典]。その他にも地デジ化に伴ってテレビ離れが進んだとかおもしろい番組がないからテレビ離れが進んだとかマスコミ不信が高まりテレビ離れが進んだとかなんだかんだ理由はあっても結論としてテレビ離れが進んでるみたいじゃないですか。うちにはテレビがないのでよく知らないけど。

 そういえば神聖かまってちゃんが「8月32日へ」を出してテレビ出演もしましたね。神聖かまってちゃんは曲はいいし、すべていいとは言わないしまとめて聴くと飽きてくるけど、の子は素人目に見ても天才だし、いいバンドだと思います。ただバンドの活動を見てても楽しくないから追いかける気にならない。

 それでこの前の神聖かまってちゃんの「放送事故」と騒がれていたテレビ出演の動画と、それをめぐるネット上の反応のあれやこれやを見てると、今まで神聖かまってちゃんの活動を見てても楽しくないと思ってたその楽しくない部分がよく出てたなと思って。

 要は神聖かまってちゃんの逸脱はそれほど過激とも思えないし、意図していようがなかろうが、戦略的であろうがなかろうが、それに乗っかる楽しさや騙される楽しさをまったく感じないという話。

 ☆

 事の始まりはいつだったかな、神聖かまってちゃんがTBSのカミスンって生放送のテレビ番組に出演して大暴れで放送事故だってネットで話題になってて。だいたい神聖かまってちゃんがテレビに出てたことも知らなかったんですが終わってみるとネットでは放送事故だなんだ騒がれていた。これがどんなもんかと思ってYouTubeにアップされていた動画を見てみると、著作権法とか大丈夫ですかねNo more 映画泥棒のあの人が夜中に来るんじゃないかなと思って、ガオーさんとどっちが怖いかって話ですよね、まあなんにしろその番組のかまってちゃん出演部分を見たわけだ。

 まず話題の動画を見た感想として、予想してた内容とまったく違っていて、期待していたほどおもしろくなかった。大暴れとか放送事故と騒がれていたのにあの程度かと。それにあのパフォーマンスをロックだのパンクだのと呼ぶ気にもならない。

 規制のルールやら概念に反抗すればロックであったりパンクであったりするのかもしれない。打ち合わせやらリハーサルやら進行やら、それからテレビ出演のお約束を破った、ということで言えば放送事故かもしれない。それでその行為はルールを知ってる人からみればものすごい逸脱なのかもしれない。しかし残念なことにそんなルールなんて共有していない。しかも残念ながら神聖かまってちゃんがあの番組で破ったお約束なんて業界内でしか通じないローカルルールであったり瑣末な価値観であったり、その程度にしか思えない。

 そしたら神聖かまってちゃんがやりなおし再出演なんて情報が流れてきた。このときに、例えばナタリーの記事だと放送事故だとか破天荒なパフォーマンスで視聴者の度肝を抜いたとか書かれててそれはあまりにも大げさすぎないかい?と思ったわけ。テレビであんなむちゃくちゃなことやったんだからもう出ません出しませんじゃなくてもう1回出てやりなおしってところがマッチポンプ的というか炎上マーケティング的に見えてしまってさらに興味を失った。

 どうやら再出演のときには通して演奏をしたらしいけども、すでにその時にはどうでもいいというかまともな演奏をしてもそうでなくてもそんなにおもしろくなる気がしないというか、そもそもなにもやりなおすところなんてなかったじゃない。

 あれが完全に話題作りでもなんでも、これやったらおもしろいよねって本気で考えてたり神聖かまってちゃんはこういうバンドだからこう見せよう、でやってたとするとアピールするところ間違ってるんじゃないの?としか思えない。曲はすごくいいんだからあんな話題作りしなくてもテレビに出るときくらいきっちり演奏したらいいと思うんですけどね。たぶん多くの人が見たかったのとは違うと思うんだけどどうかな。神聖かまってちゃんの扱われかたってすごくもったいない気はしてる。

 なのでこのやり方はわかってても騙されたい、と思うほどのおもしろみを感じない。意図とか戦略とかあったとしても、その戦略に乗っかる楽しさとか騙される楽しさを感じない。

 ☆

 おもしろかった!とか好きです!じゃないんだからわざわざいまいち楽しくない理由なんて書かなくてもいいんだけどかまってあげないといけないのかなと思って。絶賛なり否定なりつまんねなりみんな死ねなりなにかしら反応してあげないといけないかなと思って。

 ほらかまってちゃんだから。
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くりかえされる8月32日 よみがえれぼくのなつやすみ
 まったく生産性のかけらもなく8月が終わって9月もそろそろ終わり、振り返ってみれば8月は暑い暑いで9月に入っても暑い暑いで台風が来て過ぎていってやっと涼しくなった。関東平野の天候は加減というものを知らない。もう秋を通り越して冬でもいいじゃないか。いっそのこと。

 ☆

 はてさて1ヶ月もブログもさぼってなぜならばって忙しかったからでなんでかって言うと社会正義に目覚めてたんです!

 やっぱりネットが普及したことによって一般の個々人が情報を全世界に発信して共有する手段を手に入れたじゃないですか。そしたら偏向と陰謀と私利私欲と既得権益にまみれたテレビやら新聞やら既存マスゴミの伝えない世界の真実を白日の下に晒して糾弾するのが意識の高い市民、そしてネットユーザーとしての義務だと思うんですよ!

 しかもSNSやTwitterやYouTubeが腐敗した政権を打倒した革命の成功に大きく貢献したことも記憶に新しいじゃないですか!腐敗した政府にNO!堕落した政治にNO!を突きつけるためにも我々もネットで実名を晒してこの情報革命の新たな波に積極的に参加して社会を変革すべきなのです!

 そしてあの丘を越えて真澄の空は朗らかな9月!社会正義に目覚めたためにこの世界の真実に気づいてしまったんです!

 そう!8月が繰り返されていることに!

 実は我々はテレビや新聞やカレンダーを販売している大企業に騙されていたんです!8月31日のあとに9月1日だという大本営発表を信じ込まされていただけで我々は実は延々と繰り返される8月の中にいるんです!

 例えれば我々は!モーフィアスに赤い薬を飲まされてしまったネオ!Welcome to the real world!わたしたちひとりひとりがこの世界のオンリーワンな救世主!

 搾取を許すな!NO MORE 映画泥棒!

 この衝撃の真実をこれからWikiLeaksに投稿しないといけない。

 ソースを示せって言われても御用学者どもと学会の権威によって公表が妨害されてるんで世間的には存在しないほんと内部情報なんですよ。確かな情報筋から聞いたんで信用してもらっていいんですけど、ほらやっぱり本人の名前とか肩書きとか出すとやばいじゃないですか。狙われるかもしれないじゃないですか。電磁波攻撃とか危険ですよびびびびびって。

 権力に邪魔されてるからなかなかこの真実って世に出ないんですけど、検閲と出版社の自主規制、最近は条例とか新しい法律とか作られて恣意的に運用される可能性があるじゃないですか、だからどうやって規制の網をくぐり抜けるかが問題で、まあ詳しいことは笑いの大学っていう啓蒙演劇を観てもらったらわかると思うんですけど、やっぱり真実と、それを知っている立派な人たちって残念なことに弾圧されちゃうんですね。いつの世でも。

 それでこれまでに1冊だけこのことに触れた本が出てて、涼宮ハルヒの暴走っていう本なんですけど、この中のエンドレスエイトっていう短編小説がそうで、小説、しかも権威によって格が下だとみなされて蔑まれてるライトノベルとして書いたから出版できたんですけど、著者の苦労が行間から溢れてくるのを感じるんですね。未来のある少年少女たちに真実を伝えようっ、伝えなければっ、ていう強靭な意志をひしひしと感じるんですよね。

 エンドレスエイトはTVアニメにもなって8週もほぼ同じ内容が繰り返し放送されたんですけど、今になって思えばああ、あれも真実を知る一握りの人たちが、厳しい規制の中で立ち上がって、切実なメッセージを発していたんじゃないかなと思うんです。それを気づこうともせずに話題作りだ手抜きだ製作費削減だと騒いでいた、そういう先入観で裏事情まで推測して決めつける態度はやっぱり反省すべきじゃないかなって。

 昔から体制や権力にとって不都合な真実を述べる人間は弾圧されるのです。この記事も体制によって削除されたりIPアドレスから枝がつけられてたりするかもしれないからとっても危険ですね!

 やっぱりこの真実が世間に受け入れられないのは民衆がマスゴミに洗脳されて偏った見方をしてるからで、そうならないためにはテレビも見ずに新聞も読まずにアレを前進させるのがいいと思うんですよ。やっぱり信頼できるのはネットの情報なんですよ。

 特に虚構新聞!!

 ☆

 ほんとは今回は、神聖かまってちゃんがテレビに出た話題を見聞きしたり新曲を聴いたりしてたらの子の中でもう答えが出ちゃったんじゃないかなあと思ったのでその話を書く予定だったのですが方向性を誤ったので書けませんでした。

 おっと誰か来たようだ。
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お部屋でミステリーサークル
宇宙人の「お部屋でミステリーサークル」が届いたので聴いています。

すごいね!
宇宙人!
おもしろい!



話を遡れば7月の終わり頃、宇宙人という謎のバンドがギューンカセットからアルバムを出すというニュースを聞いたのがその頃。

これはおもしろそうなバンドが出てきたと思い「アメーバダンス/あこがれのネクタイ」を買って聴いたところがこれがすばらしくおもしろい。

このバンドは追いかけねばならぬと「お部屋でミステリーサークル」を予約注文し受け取ったのが今日の19時8分、聴き終わったのが1時間後くらいだと思いなよ、あまりのすばらしさに胸をときめかせながらじたばたしてまた聴いてたのがさっき、床を転げ回りながら書いてるのが今。

この曲のここがいいんだよとかまた改めてやりたいですね、そういうの。
ひとりバンド夜話〜宇宙人編〜。
Ustでやります!やりません!

さてまあいろいろネットを見てると宇宙人と並んで相対性理論の名前がよく出てきますがたぶん宇宙人はまったく違うと思います。
状況は似てても音楽はそれほど似てると思いません。
女性ボーカルの4人組バンドでメンバーの名前とパート以外の情報がなく、曲はポップ。
たぶんこれだけ揃ってたらだいたい相対性理論っぽいって言われる気がします。
そうじゃなくて。

宇宙人は高知出身だそうですが関西のサイケバンドにいそうなイメージ。
東京にはいなそう。
たしかにギューンカセットが好きそうだ。
というよりも宇宙人を最初に聴いたときに思い出したバンドは相対性理論じゃなくてソープ嬢変死なんですよ。
ソープ嬢変死ってそんなに曲知らないけど宇宙人は同じ箱に入れたい。
ポップなソープ嬢変死。
そういえばソープ嬢変死もギューンカセットだ。

まあ誰っぽいとか説明するには便利だけどまあどうでもいいや。

宇宙人おもしろいんで聴いたほうがいいと思います。
このバンドは大当たり。

あこがれのネクタイのPVがYouTubeにアップされてました。
百聞は一見になんとやら。


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まだ八月にいる
下界のみなさまこんにちは。

ディストピアにひきこもって外界との交流をほぼ断ってから1年を過ぎ、いよいよもって世間から隔絶された生活に倦み疲れ、神隠しにあっただの都市伝説になっただの噂されつつもたまに下界に降りては覆う閉塞感にちまちまと針穴を開けている。

はてさてひと言で言えば生活に彩りがない。
人間の三大欲は食欲性欲睡眠欲などと言いますが、それら集合のどこにも属さないストイックの3乗生活を送ってみればいつかは霞を食って生きる仙人になって空も飛べるはず。
しかし未だに世俗の煩悩に悩まされるとは修業が足りぬのか。
ならば近所を開拓しようとしてみても成果は上がらずネット依存が深まるばかり。

それなら天狗にでもなってみようか。
大日本天狗党絵詞に曰く、天狗とは三界に家なく自在に飛行するものだと。
そこで「世紀末立身指南 天狗になろう」を熟読し、サイコロを振りすごろくを進め、律義に修業をしてはいる。
しかし未だに空も飛べないとはやはり修業が足りぬのか。
そもそも内省してふり出しに戻ってばかりだ。

まあ天狗になってみたところでこの平野のど真ん中、隠れるような山もなく、日の出から日の入りまで太陽の照らさぬところもなく、真夏ど真ん中アスファルトの照り返し、町でうわさになる前に石になって倒れてしまう。

かようにしてあまりにも馴染めない生活文化に対して煙草を吸っては愚痴を吐き、酒をあおっては恨みをこぼし、気づいてみれば八月も終わり。

俗世にかえりたい。



しばらく更新していなかったのですが、それというのも本業が忙しく、しかも長めに海外に行ってた、というのと入ってくる情報が激減したのでそもそも書くネタがなかったというのが主な理由。
あとは気分じゃないというのと伝えるべき誰かを見失ったからだね。

さてまあそこで町にも出ずに書に親しんだりしていたわけだ。
いちから話を作るオリジナリティもクリエイティビティも持ち合わせちゃいないのについに素材も足りなくなった。
そんな中で森見登美彦の「恋文の技術」を読んだんですね。
この主人公があからさまに自らの境遇と重なるところ多く、そこで志を新たにしたのです。

「恋文を書こう」

ほんとうに恋文を書いて送ったかどうかはさておき、たまに更新します。
今いちばん興味のあるのは引っ越しで不動産屋のホームページしか見てないんでそういう話しかしないかもしれません。

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あけました。と今後の予定
 あけましておめでとうございます。

 正月気分なんてもうすっかり消え失せているけども、むしろ年末気分すら盛り上がらずに気がついたら年明け、お正月らしいことといえば初詣でに行ったくらい。大晦日は妹宅でバクマンとまいんちゃんの一挙放送など見つつ、AKB48とたくさんの芸人さんは出ずっぱりだったような気もしますが、Perfumeだけはしっかりチェック。CDTVでしか見れなかったけども、VOICEなんて聴いてたらやっぱりテクノの人は中華風のメロディーを使いたい時期が必ずあるのだな。

 しかしまあクリスマスだ正月だ、なんてイベントはカレンダーの上では今日と明日、1日の扱いとしてはいつもの週末と変わりなく、1日の重みが違うのならそれは意味付けであったり気分であったりするのだなと、正月気分を探してまわりを見回してみれば、大掃除をしている家が何軒か、立ち話をしているおじいさんおばあさん、車の通りがちょっと多いなど、普段なら見ない光景がいくつか、しかしまあそのくらいで人の気配も少なく、ひっそりこっそりと年を越し、これでは気分が盛り上がるはずもなく、相変わらずの田舎の風景。

 この閉塞感を打破するためになんらかの対策を早急に立てなければいけないのですが、下界でなにが起きているのかほっといたらなにも情報が入ってこないのでモチベーションを維持するのが非常に困難。外に出ないなら出ないで生活に不便はないけど、インターネットもAmazonもあるし、でも彩りとか楽しさがないなと思って。

 年末にミドリの解散ライブを見たらなんとなくいろいろと終わってしまった気がするので今のところ気分がのらないというのは確かにありますな。

 でもまあ行きたいライブはいくつかあるもので、とりあえず今後の参戦予定。


1/9 新春ブッキング @渋谷屋根裏
1/10 いいにおいのする部長 @渋谷クアトロ
1/11 皇帝のいない一月 @渋谷O-west
1/19 風狂と夜の会 @高円寺UFO club
1/29 夢の島で逢いましょう vol.10 @下北沢BASEMENTBAR & THREE
2/4 にせんねんもんだい公開レコーディングワンマンライブ @渋谷O-nest
2/26 ふくろうず&太平洋不知火楽団2マンライブ @新宿MARZ
3/6 ミラーボールズ「ネオンの森」リリースツアーファイナル @新宿レッドクロス


 1/9と10は進行方向別通行区分の解散ライブ2days。公演回数を少なくして希少価値を高めるタイプのバンドだと思っていたのですが最近はライブの回数が多いようです。聞いたところによると夏にも2daysをやったし新宿LOFTの謎の日(2010年12月4日)にも出たとか。そのためか今回のライブはチケット余裕で取れました(まだ一般発売で買える)。あかるんの生誕祭(前売りチケット取れなかった)に行かずに進行方向別通行区分に行く決断を褒めてもらいたい。

 11日の皇帝のいない一月はOut one Disc主催のオープンプライスライブ。岸野雄一のワッツタワーズなど出演。行きたいのですがさすがに3日連続、しかも平日だと厳しいので行けないかもしれません。赤字にならないことを祈る。

 19日はミラーボールズと壊れかけのテープレコーダーズ!一緒に出るうずらもMySpaceで聴いて見たらものすごくよかったので楽しみです(ステキナミライはセンスが溢れすぎだと思う)。

 29日は壊れかけのテープレコーダーズの「箱舟」レコ発。DODDODOも出る!

 2月以降はまだどうなるかわかりませんが久しぶりのにせんねんもんだいを見ようかなとかふくろうずと太平洋はもうチケット取ったしミラーボールズのワンマンは自分の中ではすでにいちばん盛り上がっているライブ。

 あとは百蚊に東京でライブやってほしいですね。去年の10月に東京でライブやってたということにあとで気づいて行けなかったのはしょうがないとしてやっぱり見たかった。

 ということで今日はさっそく渋谷屋根裏、そんなに気合いは入ってないのでだらだら見ようと思います。

(2011年1月9日)
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