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相対性理論のシンクロニシティーンを聴く その5
シンクロニシティーンもほったらかしだったので強引にでもオチをつけておかなければ。

シンクロニシティーンの収録曲には統一性がなくてばらばらだと書いた覚えがある。
ただ、否定的な文脈で使われることが多い「統一性がない」という言葉はシンクロニシティーンにおいては褒め言葉にしかならないのではないかと。
むしろ統一性のなさは狙っているような気がする。

カート・ヴォネガット・ジュニアのスローターハウス5にトラルファマドール星人という宇宙人が登場する。
そのトラルファマドール星人が主人公に言ったセリフを長いけど引用。

「トラルファマドール星には電報というものはない。しかしきみの考えはまちがってはいない。記号のかたまりは、それぞれやむにやまれぬ簡潔なメッセージなのだ−−それぞれに事態なり情景なりが描かれている。われわれトラルファマドール星人は、それをつぎからつぎというふうでなく、いっぺんに読む。メッセージはすべて作者によって入念に選びぬかれたものだが、それぞれのあいだには、べつにこれといった関係はない。ただそれらをいっぺんに読むと、驚きにみちた、美しく底深い人生のイメージがうかびあがるのだ。始まりもなければ、中間も、終わりもないし、サスペンスも、教訓も、原因も、結果もない。われわれがこうした本を愛するのは、多くのすばらしい瞬間の深みをそこで一度にながめることができるからだ」

つまりはシンクロニシティーンってこういう話なんじゃないですかねって思ってる。

でもシンクロニシティーンがトラルファマドール星の電報になりえないのは絶対の時間軸があるからで、3分の曲だったら聴くのに3分かかる。
早送りすれば1分くらいで聴けるけど、作ってるほうが3分の曲を聴かせたいと思えば3分かかる。

例えばこれが1冊の文庫本だったら人によって、または内容によって読む速さが違うという話になっる。
作り手と受け手がどこまで時間をコントロールできるかといったときに音楽は作り手と受け手の時間が一対一で対応してる。

時間軸があるということは順番があるということで、最初の音から始まって次の音次の音という聴き方にしかならない。
本という形だと時間軸がそんなに厳しくないから、話がつながらないということはあっても、順番はけっこう自由に読める。
これが電子書籍になると読むときにページの順番を意識しないといけないのでやや不自由になる。

ただシンクロニシティーンは時間軸はあるんだけど、統一性がないからアルバムが曲単位に分解されて、聴く順番を制限していないような気がする。
なのでシンクロニシティーンは解体されること、並べ替えられることを意識して作られていて、この曲順がベストだとしても他の順番でも大丈夫な気がする。
いつもアルバム単位で聴いてるので順番を変えてどうなるかは試したことないけど。

つまり曲順の可能性は11!=39916800通り!
まるでエンドレスエイト!
でも1曲目はシンデレラだし2曲目はミス・パラレルワールドだし最後はムーンライト銀河で確定だとは思う。
やっぱり導入のシンデレラでおそらく2人が登場して、ミス・パラレルワールドで「わたし」が「暇ならわたしと来て」って歌った後に、暇じゃなくても行くってわかってるくせに、ムーンライト銀河で「短気なあの子」が「今夜は暇?って チャイムを鳴らす」んです。
この最初と最後で視点が転換してるところがすごく鮮やかに決まってるしものすごく粋なんですよ。

だからシンクロニシティーンはまったく意識してませんでしたって言うにはやっぱりできすぎていると思うんだけどどうかな。
ただ問題はここがいいんだよって言った時に本人たちが意識してないかもしれないことで、まったく考えてなかったけどね、勝手に深読みしてんじゃねーよって話じゃないですか。
でもすごいすごいって騒がれてても、意識してないとか考えてないとか実は知らないっていうのはけっこう簡単にばれるんじゃないかなとは思ってる。

相対性理論の場合は自分たちからはほとんどなにも言わないから表に出ないだけで、前々からものすごく意識的で自覚的なバンドだと思いますよ。
そうでないバンドがハイファイ新書やシンクロニシティーンを作れるとは思えない。
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LIQUIDROOM 6th ANNIVERSARY "Private Lesson" コメンタリー 4
***(本日の放送は終了しました)***

もう夜も遅いし時間切れなので強引にでも終わらせたいけどうまい落とし所も見つからなくてまぁけっきょくなんだったのかって言われればなんだったんですかねぇってもぞもぞしないでもない。

スチャダラパー見てて思ったのは、スチャダラパーは見てておもしろい。
好んで聴くかと言われれば聴かないけど。
そもそもヒップホップとかラップと呼ばれる音楽を聴かないからなのではあるけどもそうするとどこからかスチャダラパーはヒップホップじゃないんだっていうディスが飛んできそうなんで、それこそあいつらはロックじゃないっていうのと同じように、まぁそれで華麗なディスりあいを繰り広げていても別にあんたらが誰と仲がいいとか悪いとかどうでもいいしなぁって思って見てる。

ヒップホップとかラップとか呼ばれる音楽はまったく聴かないしやってる人たちも有名であれば名前くらいは知ってるよ程度しか知らないので、だいたいどの曲も同じに聴こえるからいまいち興味がもてないというのはあって、例えば実際にスチャダラパーを見ててさっきの曲と今の曲は違う曲であるのはわかるけどだいたい同じに聴こえるとか、例えばラジオから流れてきたラップを聴いて、それが誰の曲かという情報がなかったとして、ああこれは誰それのなんていう曲だとわかるのか。

どこにその人のオリジナリティとかその人でしかありえないなにかが出てるのかって言った時によくわからないというのは正直ある。
それにこの人は天才だと言ってみたところでなにが天才なのかわからないというか、例えばギターのうまいへたはわかるし今日はすごいいいギター弾いてるよねってそれはわかるし、もしかしたらこの弾き方は誰っぽいとかそこまでわかるかもしれない。
ただヒップホップではできそうにない。
そもそも聴いてないからだけど。

そうなるとヒップホップって音楽のひとつのジャンルとしてクラシックやジャズやロックと同じレベルの扱いになっててもヒップホップの中って意外と一様なのかなと。
少なくともこちらからはこれとこれがどう違うという違いがあまり認識できない。
たぶんこれこうしたらヒップホップというジャンルに入るっていうフォーマットがかっちり決まってるからの気がするんだけどどうだろう。

あと思想とかなんとか精神とか重要そうじゃないですか。ヒップホップ。
社会的なメッセージとか。
一時期の日本語パンクと呼ばれていた人たちと同じに。
スチャダラパーはそういう余分な背景を感じさせないところがすごく入りやすくていいなぁとは思っているのだけども。

そういうのはどうでもいいとは言わないけど音楽としてどうかという段階の前にそれは馴染めないというのは常々思ってて、最近のヒップホップではあまりそういうのも流行らないのかなと浅はかな知識をもって言ってみたとして、この曲いいよねってなるときに思想や精神やメッセージ性が先に立つことはあるのかってなるとないんじゃないかと。
でも軍隊も宗教も盛んに音楽を使うし、音楽でラブアンドピースとかエコとか言ってる人たちも比較的よく見かけるんで、そういえば夏に増えそうな気がする、そういうことあるのかって言われればあるのかもしれませんね。
ラブアンドピースとかまったく信じてないけど。

でも音楽と思想とか精神とかメッセージとかはたぶんすごい結びつきやすい。
それに音楽のジャンルによって相性がいい思想みたいなのがある気がしてて、例えば70年代のイギリスだったらパンクと呼ばれるバンドが出てきたし、例えば大学紛争が華やかなりし頃の日本はフォークが大流行。
それは間違ってるって言われてもだいたい合ってる気がする。

例えばその頃に、例えばばっかりで悪いけど、ヒップホップという選択肢があったとしたらヒップホップが流行したかと言われると想像できない。
時代や地域が違うので想像しろというほうが無理なんだけど、ヘルメットかぶってゲバ棒振り回しながらヒップホップってありえない気がするんですよ。
連帯のためのヒップホップとかアジ演説のためのラップっていう組み合わせはありえない気がするんですよ。
できるとしても流行らない気がする。
色則ぜねれいしょんにおけるユースホステルのミーティングのシーンはギターを持ってみんなで歌わなければいけないのであって、あそこでヒップホップはありえないんじゃないかと。

そしたらヒップホップと宗教っていう組み合わせがないかなーと思ったら念仏ラップというのがありまして、向井秀徳がZAZEN BOYSを始めてから念仏ラップっていう言葉が使われはじめたような気がするんですけど、でもここで問題なのは向井は神でも仏でもないってことで、やっぱりそういうところに個人崇拝は持ち込まないタイプだし、これがヒップホップと宗教とのコラボレーションっていう気はまったくないけど、そろそろ温度が上がってクーラーのリモコンを探したりする季節なんじゃないですかね。

あと個人的な好みで言えばやっぱり小さいライブハウスが好きなんで、リキッドみたいな規模の大きい会場だとどうしてもこちらの気分が盛り上がらないというか、盛り上がるんだけど突き抜けないというのは経験上わかっていて、あんまり好きじゃないんですよ、要は。
演奏もパフォーマンスもものすごいよかったねってなってもいまいち盛り上がってないのはたぶん会場が大きいから。

スチャダラパーはたぶんこのくらいの規模、もしかしたらもっと多くて数千人規模の会場がベストのような気がする。
それに比べると相対性理論ってやっぱり小さいライブハウス向きのバンドだなって思いますよね。
200人くらいかな。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて持ってる雰囲気として似合うかどうかの話。

恵比寿を通過するときに適当にタイトルをつけたらわかりにくかったんじゃないかと思って、わかりにくいというかこのタイトル単独ではそんなにおもしろくはないし、そうなると元ネタを知ってればおもしろいのかなとも思うけどここまで反響がないというか誰からもつっこまれないということはそもそも知ってる人が少ないんじゃないかと思ってそこをいやこれはあれでね、みたいな説明を入れるのも恥ずかしいのであれすごい流してほしいいま。


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LIQUIDROOM 6th ANNIVERSARY "Private Lesson" コメンタリー 3
***(日本語字幕付き)***

なので到着予定よりだいぶ遅れたんで、入ったときにはもうスチャダラパー始まってたんですね。
でも正直な話スチャダラパーから始まってると思わなくて、この2組だったらまず相対性理論が1時間で次にスチャダラパーが1時間+アンコールくらいかなと思ってたから、見る側が相対性理論が何番目に出るかってそれを気にする以上にやってる側も相対性理論を何番目に出すかってものすごい気を使ってる気がするんですよ見てると。
まぁそんな楽屋話はどうでもいいし興味ないですけど。

入ったときにはスチャダラパーでフロアが盛り上がってたので、これ相対性理論の盛り上がりとは違うので理論久しぶりにアウェーだなって。
やっぱり相対性理論はアウェーでやらないと、相対性理論って誰それ?とか別にそんなに好きじゃないとかいう人たちの前でやらないとだめな気がするんですよ。
みんなが相対性理論目当てとかそんなライブを続けてても成長も発展もない気がしてて、あえてまったく違う背景とか趣味嗜好を持つ人の目から見られないとだめなんじゃないかと。
最初から肯定してくれる人たちを相手にして拒絶される可能性や否定される可能性を排除していいのかと。

それに見てるほうからも嫌じゃないですか。
3割くらいが相対性理論目当てかなっていう雰囲気がちょうどいい気がするんだけどどうですかね。
何百人とか1000人規模の会場でみんながみんな相対性理論が好きとか相対性理論目当てなんて絶対に嫌だと思って、みんながみんな目的が同じで受け入れるとかそれはあえて拒絶しないといけない。
乗客全員が目的地を同じくするバスに乗る必要はない。
過度な共有と感情の同調による一体感、それはとてもとてもきもちのいいことかもしれないけども。
そこでアスカに気持ち悪いって言われて拒絶されるべきなんじゃないのかと。

でも最近の相対性理論は一緒に出演するっていってもちょうどいいバンドが思い浮かばないのも事実で、見たいバンドとか好きなバンドを並べるだけなら簡単だけど、組み合わせのおもしろさを考えてさらに誰とならありそうかってなるとちょっと思いつかない。
ウリチパン郡、d.v.d、simあたりかなと思うけども、もっと見たこともないような斬新な組み合わせってないかなと。

だからバンドとしてはものすごくいいライブをやってるんだけど、今までみたいに出演するライブを最初から最後まで通して見て新しい発見があるかというとそこがあんまり期待できない気がします。
結果としてものすごく良かったでもぜんぜんだめでしたでもどっちでもいいからインパクトのある体験があるかないか。

例えば今回だとスチャダラパーは、今夜はブギーバックあたりからだから15年くらいは知ってて、デビュー20周年らしいので15年が長いのか短いのかわからないけど、そもそもヒップホップとかラップは好んで聴かないし、だから音楽好きですよってひと言も言った覚えないんだけど、スチャダラパーはたぶんこれからも好きですって聴くようになるかっていうとなにがあってもその可能性ってないと思うんですよ。
そこで自分の中の評価が定まっているし、そこがひっくり返る可能性はものすごく低いだろうし、そこが展開する可能性はたぶんないよなって。


つづく


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LIQUIDROOM 6th ANNIVERSARY "Private Lesson" コメンタリー 2
***(引き続き副音声でお楽しみください)***

もしかしたらくるりの岸田に解説されれば1都6県大回りが時刻表に頼らずにできるくらいの実力が身に付くかもしれないですね。
色則ぜねれいしょんで主人公に教えてたのはJR線全駅乗下車の方法だった気がする。違うけど。
テキストは鉄子の旅でどうよ。

それで、山手線!
なんでどっち方面がどこに行くかわからないっていう話になったかってそれ行きの最後が山手線になったからで、山手線で新宿とか品川とか渋谷以外の駅に行こうとすると絶対に迷うのがどっち方面に乗るかって必ず迷って、ここで急いで確認したいんだけどあれ路線図みたいなの意外と見つからなくて、山手線で。

それに山手線の内回り外回りってあって、あれも役に立つようで実際の駅の位置関係がわかってないと役に立たないじゃないですか。
電車って左側通行なんで、山手線の外回りは時計回りで内回りは反時計回りなんですよ。
これすごいマメ知識じゃないですか?
ちょっとこの春からのね、大学の新入生とか新社会人で東京暮らしを始めた人はこれ覚えておくといいと思うんですけど、それこそ新入生ガイダンスとか社内におけるパワーバランスとかどうせ身に付かない仕事術とか合コンのマナーとかそんなのはほんとどうでもいいんで、まずは山手線の外回り内回りを覚えろと。

山手線の外回りと内回りを覚えることこそが都会の絵の具に染まる第一歩!

でもここからが本番で、外回りが時計回りで内回りが反時計回りだということを知っていたとして、知っていたとしてだよ、今いる駅から目的地まで外回りに乗るのと内回りに乗るのとどちらが早いかを判断するのは難しいんですよこれ。
なぜならば外回り内回りは回る方向を示しているだけで行き先の情報は含まれていないから、けっきょく目的の駅が地図の上でもしくは路線図の上でどっちにあるかを知っていないといけない。
しかも駅には外回り内回りっていう表示はどこにも見当たらなくて、けっきょくは新宿方面とか品川方面とかの表示を見て判断するわけですよ。

だから山手線の外回り内回りって別に知らなくても実用的にはそんなに問題なくて、なぜならばその表示自体が駅にないから、それよりは新宿は左のほうにあるとか品川は下のほうにあるとかそのくらい覚えたほうが役に立つけど、そうなると山手線の外回り内回りはそういう役には立たないけど知っておくと東京に住んでる人っぽいアピールができるローカルネタとして機能する代表になってしまうのではないかと。

ただそこで対抗して、SUICAやPASMOの代わりにICOCAとかSUGOCAとかはやかけんとか使って東京の人ではないアピールをする必要はないと思うんですよ。持ってないけど。

そういえばPASMO使ってて、あれタッチするときに悪夢探偵のときの塚本晋也みたいに「あ、いまタッチしました」ってあれいっつもやってる。実は。そんなでもない。


つづく

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LIQUIDROOM 6th ANNIVERSARY "Private Lesson" コメンタリー 1
***(副音声でお楽しみください)***

時間がないから詳しい話とか省きたくて、いやでも16日のリキッドルームでの相対性理論とスチャダラパーのライブのあとにアップした記事(恵比寿でライブを見ていてブギーバックされたシフォン主義者、まだ恵比寿にいる)に補足しておいたほうがいいかなという情報もあって、なんとなく真実味が足りない気がするんですよ。ディテールが欠けているので全体的に嘘くさい。でも相対性理論の話にはたぶんならないので相対性理論に興味のある人は読む必要はないと思います。

ここからはおまけですからね。

忘れないうちに言っておくと相対性理論は去年末くらいにネクストステージに立ったとか騒いでたけどさらにそこから成長したと思います。
特に永井が大化けして今回のライブでは去年の9/4のStar Pine's Cafeで大友良英と一緒に演奏したときに感じたぐらいに突き抜けてた。

この日はライブが終わったの22:00前だったんですけど、もしかしたら忘れてきたみたいなこともあったりなぜか逆方向の電車に乗ってたりで家に帰るのにも時間がかかって、たしかこの記事は恵比寿に戻ってきたところで書きはじめて帰りの電車の中でアップしたんですよ。
帰ってきてから書き足したり修正したりしたのがあのバージョン。

それでこういうこと書いてるとまたまたそんなおおげさなとかネタでしょ?とか思われる可能性があって、まずはそこを否定しておきたい。

だいたいネタだったらもっとおもしろくしますよね。
できるかどうかはおいといて。

この日は実際に乗り換え1回で済むところで乗り換えを3回して4路線を乗り継ぎました。
久しぶりに自分がどこにいるのかわからないとかなにが起こったのかさっぱり理解できないという経験をしたわけですが。
久しぶりにっていうことはたまにこういうこともあるっていうことで、まったく酔ってはいない。
酔ってたわけではないしむしろ泥酔してるくらいのほうが無意識に家に帰ってたりしてそっちのほうがすごくね?とか思うけど。

東京に越してきてから10年近いけど、いまだに最寄り駅かよっぽどよく使う駅でない限りは駅の順番や位置関係を覚えてないんですよ。
むしろすでに覚える気もなくなってるし。
そもそも自分でもびっくりするくらい地図が読めないからな。

これはまさしく20年近くも前に三代目魚武濱田成夫が「駅の名前を全部言えるようなガキにだけは死んでもなりたくない」って言ってたからで、駅の名前を全部言える必要はないけど全部言えないっていうのはさすがに日常生活をおくる上で不便だ。
頻繁に電車に乗るようになれば覚えるのかもしれないけども電車にほとんど乗らないからいつまで経っても覚えない。

だから電車に乗るときは、路線図で目的地までの行き方を確認して、乗ってからは車内の電光掲示板とホームの看板で今どの駅に着いたかをひとつずつ確認しないと今どこにいるかがすぐにわからなくなるわけですよこれね。
最近だとiPhoneの乗り換え系アプリに完全に依存してて、どこからどこに行くって経路と時間を調べるのがものすごく楽になったけど、だからって今どこの駅にいますよって教えてはくれないし、東京メトロだったら駅によって電波が弱かったりするじゃないですか、で、新しい経路を検索するのに電波が入らないとかそもそもここなに駅だよって看板探したりしてたら時間かかりますよね。かかるんですよ。

そうなると何番ホームがなに方面とか言われてもそのなに方面に目的地が含まれていなければどっち方面に乗ればいいのかわからなくなりますよね。
でもだいたいの路線は西から東とかさ、北から南とか、それと大きな駅名、例えば新宿とか渋谷とか池袋とか、覚えてたらだいたい見当はつくじゃないですか。

例えば新宿から中央線に乗るとしたら東京方面と八王子方面を間違えることはさすがにそれはないですよいくら地図が読めないっていっても。
それに吉祥寺より向こうとかこっちとかそういうわかりやすい駅があるから覚えやすいじゃないですか中央線。
でも、東京に来てからずっと中央線と中央・総武線の関係がわからなくて、最近やっと理解したところによれば、区間が重なってるんですよ、路線図を見ると。中央線と中央・総武線は。
もしかしたら中央線はその区間を快速で走ってて中央・総武線はその区間を各駅停車してしかも中央線と総武線をつなげてんじゃないかと思って、いいですよねこれ。だいたい合ってますよね。

そうなると残る問題は普通と各駅と快速と通勤快速とそれからあと何種類かある特急快速とどれがいちばん早く目的地に着けるかさっぱりわからないところで、あれ把握して乗ってる人いないでしょさすがに。
でも世の中は広いんでいますかね、そういう人も。。。

そういえば小田急線も難しくて、快速と急行と準急とどれがいちばん速いの?って話じゃないですか。
しかも小田急線の駅に貼ってある路線図って新宿が向かって左で小田原方面が向かって右に書いてあるから実際の地図の上の東西と逆でものすごくわかりにくい。
なんであれ文句が出ないんですかね、または文句が出ても変更しないんですかね。
右と左を変えるだけでしょ。
さっき地図見たけど小田原ってやっぱり新宿から西、正確にいうと南西方向にあるから小田原方面はやっぱり左に書くべきだろと。

これは、いくらくるりの岸田がタモリ倶楽部に出演して京浜急行への愛を語ろうともそこはやっぱり電車に乗ってどこか遠くに行くっていうのはなかなか難しいんですよ。

え、電車の話ばっかりしてて大丈夫ですかねこれ。


つづく

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恵比寿でライブを見ていてブギーバックされたシフォン主義者、まだ恵比寿にいる
2010年7月16日(金)

どうしても乗り換えがうまくいかないとかなぜか逆方向の電車に乗ってしまっていつまで経っても目的地にたどり着けないとかこの周辺から出れなくなって帰れない日があるじゃないですか。

相対性理論とスチャダラパーが出演するLIQUIDROOM 6th ANNIVERSARY「Private Lesson」に行ってきたんですけど、今日がそういう日で。

うちは山手線沿いでも日比谷線沿いでもないから乗り換え1回で恵比寿に着くんですね。
そしたらことごとく乗り換えを間違えて、けっきょく乗り換え3回、4路線を乗り継いで、徒歩も込みで恵比寿まで2時間くらいかかったんですよ。

東京はそういう迷い込んだら抜け出せないマジカルスポットが多いので電車に乗っている間は一瞬たりとも気が抜けない。
いまなに駅にいるのか、どことどこの間を走っているのかを常に確認していなければならない。
本を読むとかiPhoneをいじるなんてもってのほか!

なので開演時間に遅れてしまいスチャダラパーは途中から見ました。

2番手が相対性理論。


「こんばんは、相対性理論です」
1. シンデレラ
2. ふしぎデカルト
3. チャイナ・アドバイス
「Boy meets girl, girl meets B-boy」
4. 地獄先生
5. (恋は)百年戦争
6. ペペロンチーノ・キャンディ
「パラレルにする?ひやむぎにする?」
7. ミス・パラレルワールド
8. 気になるあの娘
9. ムーンライト銀河
「???」

(スチャダラパーと相対性理論)
EN. 今夜はブギーバック


みなさん元気があってたいへんよろしいね。
えつこさんがものすごくきげんの良さげな声を出してて不思議な日もあるもんだ。

曲のアレンジがずいぶんと変わり、特にふしぎデカルトは夏っぽいイントロに。
ムーンライト銀河は立式Iのときのように長いアウトロでギター、ベースの順に演奏を終えて退場、最後はドラムだけになって終了。
最後は「待っててね」とか「また後でね」とかそんな感じのことを言ってた気がします。

アンコールではスチャダラパーが出てきて相対性理論と一緒に今夜はブギーバック。

ムーンライト銀河のものすごいアーバンな雰囲気がおかしくてしょうがなくてにやにやしてしまうんだけどあれはかっこいいのか。
なんとなくZAZEN BOYSっぽい雰囲気も感じたけどあれはかっこいいのか。

にゃがいが更にまたすごくいい演奏をしてました。
ミス・パラレルワールドからムーンライト銀河まで、イントロもアウトロも見せ場だらけ。
みんな演奏うまくなったよね。

今回まべがコーラスの曲がなかったのは永井人気が高まってきてすねてしまってコーラスしたくないと言い出したからだそうです。
嘘です。

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相対性理論 presents 立式I 2nd set



登場人物

やくしまるえつこ(ボーカル)
真部脩一(ベース)
永井聖一(ギター)
西浦謙助(ドラム)
近藤研二(ギター)
イトケン(ドラム)



**


 2010年6月20日21時。ビルボードライブ東京。ステージ奥はガラス張りになっており、カーテンが開いているため六本木周辺の夜景が見える。外は小雨が降りつづいている。

 ステージ中央手前にはマイクと椅子。ステージ後方には楽器が置かれており、最も上手には近藤のエレキギター1本とアコースティックギター2本、ガットギター1本。その下手側に西浦のドラムセットが透明なアクリル版に囲まれて設置してあり、さらに順番に真部の4弦ベース(ミュージックマンのフレットレス)と5弦ベース(いつもの)、イトケンのドラムセットとトイピアノ、永井のエレキギター2本(いつものストラトと黒いレスポール)。真部と永井の位置には椅子。



***


第1幕


開演時間が過ぎ、ステージ奥のカーテンが閉じて暗転。
下手側のフロアを通って赤いセミアコギターを持った近藤、その後ろに西浦、真部、イトケン、永井が入ってきてそれぞれ位置につく。
1曲目のシンデレラとふしぎデカルトでは真部は4弦、永井はレスポール、近藤はセミアコ、西浦とイトケンはドラムを演奏。その後は曲によって楽器の持ち替えあり。

しばらくの間をおいて最後にやくしまるが登場しステージ中央の椅子に座って演奏開始。


1. シンデレラ
2. ふしぎデカルト

やくしまる 「あなたのおとなりさんと、わたしのおとなりさん、交換しよ」

(真部、5弦ベースに持ち替える。ヴィーナスとジーザスではイトケンはトイピアノを演奏)

3. ヴィーナスとジーザス

(真部は4弦ベースに、永井はストラトに、近藤はガットギターに持ち替え。夏の黄金比では近藤コーラス)

4. 夏の黄金比

(次の曲はやくしまると近藤のガットギター、コーラスのみ。真部、永井、西浦、イトケンは楽器を置いて動かない)

5. チャイナアドバイス

やくしまる 「丸ビルボードへ、ようこそ」

(真部は5弦ベース、永井はストラトを持ち、近藤はセミアコに持ち替え)

6. テレ東
7. 小学館

(真部は4弦ベースに、近藤はガットギターに持ち替え。おはようオーパーツでは近藤コーラス)

8. おはようオーパーツ

やくしまる 「おつかれさま」

(真部、5弦ベースに持ち替え。さわやか会社員では真部コーラス。)

9. さわやか会社員

(間奏のベースソロのときにやくしまる立つ)
(近藤はアウトロでセミアコに持ち替え)

やくしまる 「またね」


全員下手側からフロアを通って退場。



****


第2幕


アンコールの拍手を受けて再び近藤、西浦、真部、イトケン、永井が登場。
その後にしばらくの間をおいてやくしまるが登場。

(分解くんの歌では近藤がアコギ、永井とイトケンはカリンバを演奏。真部と西浦は動かない)

EN.1 分解くんの歌

(宇宙ちゃんの歌では近藤がアコギ、永井とイトケンはリコーダーを演奏。真部と西浦は動かない)

EN.2 宇宙ちゃんの歌

(真部は4弦ベース、永井はストラト、近藤はアコギを持ち、西浦とイトケンはドラムに向かう)

EN.3 ムーンライト銀河

(イントロは近藤のギター)
(近藤は間奏の間にセミアコに持ち替える)
(ステージ奥のカーテン開く)
(アウトロは長く、しばらくの演奏の後にまずは永井、続いて近藤が下手側へ退場)
(ベースとドラム2台の長い演奏が続いたあとに真部が退場)
(西浦とイトケンはその後もドラムを叩き続け、2人同時に演奏終了して退場)

(しばらくの間が入り)

やくしまる 「おやすみ」

(やくしまる退場)

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解析II その8 一部訂正
誤:(恋は)百年戦争
正:マイハートハードピンチ

(修正しました。2010.6.19)
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相対性理論 presents 解析II その8
********

今の相対性理論のライブを見ていると、素人目に見ても演奏はものすごく成長してます。
シフォン主義の頃にはずいぶん勢いがあって、雑ということではないけど粗いと言えば粗く、ハイファイ新書が出た頃には少し落ち着いた演奏になった。
それはそれでバランスがとれていたけども、今の相対性理論はその頃に比べて自分の持ってる技術とかアイディアとかを遠慮なく叩き込めるようになった感じはする。

これはメンバーの演奏技術が上がったということもあるだろうけど、単純な技術でなくて、それこそ楽譜に書き込めるようななにかではなくて、なにか+α、それこそバンド感みたいなよくわからないところが成長してるんじゃないかなと。

ギターもほとんど弾けないしドラムも叩かないので難易度がよくわからないけども、相対性理論は技術的にものすごく難しいことをやってるバンドではないと思うんですよ。
雰囲気を出すのが難しいとかここはこう弾いたほうがそれっぽく聴こえるということはあるけども、ほんとに単純な、それこそ指がどれだけ早く正確に動くかとかどんなテクニックを使ってるかということに限ればそれほど難しいバンドではない。
少なくともベースパートはスコアを見たらいちおうは弾けてしまう。
繰り返しがただの繰り返しでなくて細かく変形していくとか、構成が少し複雑で覚えにくいということはあるけど技術的に無理な演奏ではない。

ライブではCD収録曲でも違うアレンジで演奏したり品川ナンバーみたいにギターとベースのソロパートが間に入るということはあるけども、実はこんなに弾けるんですというような超絶技巧アピールはない。
だから楽譜通りに音を出すという意味ならば、練習すれば、ちょっとバンド経験があるくらいであれば、同じ曲を演奏することができてしまう。
たぶん技術的な話をすれば、他の多くのバンドはもっと高度なことをやってるだろうし、もしかしたらそのあたりの軽音部員のほうが技術的に上だったりするかもしれない。

だったらなんで相対性理論が演奏すると相対性理論になるのかって話ですよ。
なんで相対性理論が相対性理論として認識されて成立してるのかって話ですよ。
ほとんどメディア露出のない、素性の知られていない、声とか演奏しか知らない、そういう人たちのライブを見てなんでこの人はあの人だって自分の中のイメージと目の前の人物が一致してしかもバンドとして成立してるのかっていう話。

他のバンドにまで一般化してしまえばなんで演奏者とその演奏が一致するのかという話。
ライブを見ていると実際にその人が演奏しているから一致して当たり前なんだけど、その人が単に名前っていう記号で表されるときに中の人と名前と演奏がなんで一致するのかということ。
実はその関係は不確実なのかもしれないし、特に相対性理論においては、でもあらかじめ一致していると思われている。
たぶん音楽ってそこが一致することが大前提で、その前提を崩すことはたぶんやったらいけない。

でも相対性理論は今までの活動で意識的にしろ無意識にしろその疑問を提示しちゃったと思うんですよ。
なんでその人じゃないといけないの?
ほんとうはやくしまるえつこは11人いるのかもしれないのに!

「やくしまるえつこ」っていう存在がちょっと特殊なので「やくしまるえつこがいれば相対性理論である」と言ってみてもいいのだけど「やくしまるえつこ」名義での曲は相対性理論ではできないなと思います。
例えば「ヴィーナスとジーザス」はティカ・α作詞作曲で、途中でマイハートハードピンチに似たメロディが出てくるけども、あの曲を相対性理論名義でできるかと言われればたぶんできない。
ついでに言うとあのCDに収録の3曲の中ではnekomeshiがいちばん好きです。
タイトルから感じるZAZEN BOYS感もなかなかよい。

これって「やくしまるえつこ」が自分の写真と声を素材として提供する、つまり人間でありながら「初音ミク」に相当する存在になってるからで、こういうことは「やくしまるえつこ」にしかできない。
と思ったら「やくしまるえつこ」よりも前にそういうコンセプトを持った音楽ユニットが既にいてしかもそれやってるのがたまたま友人だったりしてしかも曲があまりにもすばらしいのでやられた!悔しい!ってなったんですよ。
なんでここで名前をあげないかというと、外に出しておもしろいかと言われるとまったく自信がないからで、そういった趣味嗜好が似た人たちのコミュニティの中で消費されている状態だからおもしろいんじゃないかと思ってるからです。
まぁそこは単純に売れたら悔しいというそういう話なのかもしれないけども。

なので「やくしまるえつこがいれば相対性理論である」という主張は「やくしまるえつこ」の活動で軽やかに否定されてしまったのですよ。
たぶん、相対性理論を成立させてる要素はもっと複雑で、もしかしたら要素それ自体じゃなくてその要素の関係だったりするのかもしれないけど、だからなかなか姿が見えない。

そうなると相対性理論がなんで相対性理論なのかってロミオとジュリエットの一場面みたいな、なんできみはきみでぼくはぼくなんだっていう新世紀エヴァンゲリオンを引きずりすぎな疑問を歌う内容ではなくてその活動でうっかり提示してしまったのが相対性理論なんだと思います。

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今回はどうなることかと思いましたが意外とうまくまとまった気がします。
最近はどうやって積んである宿題を終わらすか、どうやってきれいに幕間に入るか、どうやってかっこよく次の場面に移るかというようなことをずっとやっているような気がしますが、そんなにきれいにかっこよくは無理なのでいつもどおりばたばたしてます。
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相対性理論 presents 解析II その7
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去年の相対性理論からなにが良くなったかと言えばそのひとつは間違いなく永井・西浦の演奏で、演奏技術で言ってもそうだろうし、技術+αの部分がすごく良くなった気がします。

たぶんにゃがいは十字路で悪魔に魂を売ったんですよ。
去年のヒカシュークリスマスミーティングのときに渋谷のスクランブル交差点で売ってきたんですよ。
だからあの夜には悪魔メフィストからもらったシルクハットをかぶってたんですよ。

あと西浦が本気出したなと。
西浦さんは参加するバンドでそれぞれのバンドでの演奏をしていたという印象が強くて、それぞれって言っても2つしか見たことないけど、やたらと手数の多くてあんまり隙間がなくてすごくかっちりした演奏をする人なんだなと思います。
だから相対性理論では相対性理論の叩きかたをしているように聴こえる。

だから他のバンドでの西浦さんの演奏を見るともっといろいろとできるんじゃないかと思うわけですよ。
だからと言って今まで手を抜いて叩いていたのではなくて、周りに合わせてバンドのバランスをとるような演奏をしていた気がします。
今までの相対性理論では持ってる能力のすべてを叩きつける演奏ができなかったというか、特にハイファイ新書以降では相対性理論だからこういうドラムを叩くという印象があった。
たぶん技術的には叩けるけど相対性理論で叩いてしまうとバランスが悪くなるんだと思います。

だから最近は真部が前に出なくなったけど、バンド全体のバランスとしてはかなりいい場所にいると思います。

そうなると相対性理論はこういう演奏をしてこういう音を出すバンド、という縛りができていて、遠慮するとか、にゃがいやまぺの出す音に合わせてたんじゃないかと思うわけですよ。
だから演奏の変化をおおざっぱにまとめると、このバンドのこの時期はこうだったとか言うのはあまり好みではないけど、とにかくみんなが前に出たくてしょうがなかったのがシフォン主義で、メンバーが全体を考えて相対性理論はこんなバンドという縛りの中で演奏していたのがハイファイ新書。

それに比べて今はメンバーの技術やアイディアを遠慮なく盛り込めるような、それぞれの成長を受け止めてすべてを出し切れるバンドになっちゃったんじゃないかと。
それぞれの相対性理論意外でも活動してて、それは相対性理論の活動を充実させるためかと言われればたぶんそうではないんだけど、それぞれ好き勝手にやってたことがいい方向につながってるなとは思います。

ただ相対性理論はやっぱり演奏の技術という点ではものすごく難しいことはやっていないバンドだと思います。


つづく

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