スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
みらいさん、こんばんは。その13
13.

長くなりましたが、そろそろ終わります。

少しだけ、言いたいことが、もう少し。

最近の活動ではライブの本数が少なくなってるのがちょっと気になりますね。
スケジュールの都合とかメンバー個人の活動もあるからそういう事情もあるんだろうけど。

ただ去年末くらいからライブの雰囲気がちょっとおかしいかな、と。
相対性理論のときだけ満員になってあとはお客さんが帰っちゃってがらがらになってしまうライブが続いてます。
だから対バンもやりにくいですよね。

相対性理論を呼べば客が入るのはわかってるんですよ。
まだ賞味期限は切れちゃいない。
お客さん呼べる。
でも出番のあとに客がいなくなるライブを理論さんがやりたいと思いますか?
他のバンドだってライブやるんだし別のバンドを見たくてチケット取ってくる人もいるんですよ?

だから、相対性理論を見たくて遠くからがんばって来てる人もいるし、終電逃して帰れなくなると困るんだけど、それはわかるんだけど、なるべく、時間の許す限り他のバンドも見ていってほしい。

これちょっと考えといてね。
宿題ですよ。

じゃあワンマンライブやればいいじゃん、という答えは明らかに間違いです。
いい答えを出してくれた人には赤ペンで花丸をつけてあげます。



さて、明日は解析Iですよー!
みんなLIQUID ROOMに集合ね!


伝えたい言葉は I love you
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その12
12.

それから、あ、この人相対性理論好きなのか、って気づくこともあって。

例えば西島大介と今日マチ子さんね。

西島大介は巨人のドシンのときからだから10年くらい前?
あの絵を見てかわいい!ってなって、いろんなところで目にしてて、ユリイカにけっこう書いてたからちょこちょこ読んでて、世界の終わりの魔法使いとか読んじゃって、IKKIではディエンビエンフーを毎月欠かさず読み、そしたらライブの時に「世界の終わりの会社員」とか言うもんだからあ、こいつらせかまほ読んでるわ、と確信し、んでDJまほうつかいが実践IIIに出演してしまうわけなんですけれども。
でそのとき西島さんに握手してもらってさらに缶バッジまでもらってしまい今にいたる、と。

マンガ教室、参加したかったです。

今日マチ子さんはと言うと、去年センネン画報の単行本が出たときに新宿の紀伊国屋書店で平積みされてて、あ、これ好きな感じ、と思って読んだら見事にはまり、センネン画報はRSSリーダに登録して更新があれば欠かさず読み、モーニングでの連載は立ち読みですませたけどちゃんとチェックして。
そしたらセンネン画報にやくしまるさんを描いたイラストが載ってて、あ、この人相対性理論好きでしかもけっこう早くから見てるんじゃん、ということに気づき、好きなもののなかにもばっちりと相対性理論と書いてあり、ああ、好きなのか、って。
同じライブに行ってたのか、って。

奇妙な連帯感を感じるわけですよ。

え?
そうですよ?
愛用のデジカメがRICOHのCAPLIO GXなのは今日マチ子さんの影響ですよ?
GR Digitalは高いから買えなかったんだよね。

でもこの前iPhoneに変えたのは、もともとMacのヘビーユーザでよく訓練されたApple信者で、しかも実質本体無料のキャンペーン中だったから、ということです。
今日マチ子さんがiPhoneユーザでなくても変えてました。
iPhoneユーザだったことがわかったときにはそりゃ喜んださ。

マスドレもそうだよね。
もともと知ってて、なんで名前を聴いたのか忘れたけどチェックしてて。
ジャケットが気に入ったのかな。
そしたら千葉LOOKで対バンするっていうから行きましたとも。

相対性理論の対バンとか周辺の人はだいたいおもしろい。
全部とは言わないけどね。

だから要はそろそろタムくん呼んできてもいいんじゃない?ってことなんですけど。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その11
11.

だからね、最初はすごく面白いバンド見つけた!ってはしゃいでたと。
もちろんブログにも書きまくったさ。

それがなにかをどうにかしたのかはわからない。
もしかしたらなにかに貢献したかもしれないし、ただの迷惑だったかもしれない。
それはわからない。

ただ相対性理論が情報を出さないことにしてからはどの程度まで情報を出していいのかが微妙なところで。
でもそれって誰かがなんらかの形で宣伝していかねばならないのではないかと思い、それができるのって誰かと言ったら世界中で一人だけじゃん!とか都合良く解釈して間違った使命感に燃えてやってきたわけですよ。
今まで。

だから相対性理論がこういう打ち出し方をするならじゃあこれはこういうことだ、と解釈してやってきたわけです。
でもそこは相対性理論の意向を正しく反映してるか、というのはわからない。

共有してもいいんじゃないか、と思う情報、例えばライブの情報とかは書き散らしてるんですけど。
これはニコニコ動画における疑似同期の感覚をテキストだけで少しはできるのかな、という実験だったりなかったり。

ただ写真とかは載せたことないし、音源をYouTubeにアップするとかもしたことない。
情報を出さなくなってからは公式サイト上でのアナウンス以外のことやライブで自分が見てきたこと以外はなるべく書かないようにしてきたし、昔の情報をほじくり返してくるような無粋なまねもしてない。
だから相対性理論の現在の意向に反することはしてない、はず。
先走ることはあってもそのへんはできてるはず。

まぁ、8月のWorld Happiness '09でライブ映像が流出するのは避けられない事態なんですけどね。

だから自分でこんなことやってなかったら相対性理論ってもっと売れてたかもしれないですね。
でもたぶん今よりつまらなくなってたんじゃないかな。
少なくとも自分にとっては。
またはまったく売れなかったかもしれない。
前みたいに細々と活動してたかもしれない。
それはわかんないけど。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その10
10.

じゃあ相対性理論にどんなストーリーを求めてるんだよ、という疑問が当然湧きますけどそれはまた後で書くかもしれませんね。

そういう提示されるストーリーがひどく魅力的であることは、それはあるんですけど、相対性理論にはまったのはそれよりも文脈なんですよ。

相対性理論の文脈はやっぱり自分と重なる部分が多いような気がして。
バックグラウンドがすごく良く似てる感じがする。
まったく同じだったら全然おもしろくなくて、一部はかぶってるけどはみ出してるところもたくさんある感じ。
同じ趣味の人でグループ作って固まってても全然おもしろみがなくて、やっぱりなにか新しい発見のある人と一緒にいたいわけよ。

たぶん歌詞に多用される漫画的なモチーフから察するに理論メンバーは藤子不二雄を読み、ジャンプ、マガジン、サンデーあたりを友達と読み回し、さらにスピリッツやヤンマガ、ヤンジャンあたりに進み、月刊誌ではアフタヌーンとIKKIを買い続け、COMIC CUEの新刊がまったく出ないことに涙し、ユリイカの漫画家特集号は必ず読み、エロティクス・エフって別にえろくないよねとか言いながら、単行本はもちろんB6版以上のサイズっていうそういう奴らなんですよ。
きっと。

そういう文脈で、それを音楽でやっちゃった、できた、っていうところがすごいんですよ。

それに気づいたらもうはまってましたね。
追っかけてましたね。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その9
9.

音楽をやってて、その道で食べていこうとするならたぶん誰もが夢見る物語。
地道な活動なんてみんなやってること。
そりゃそうですね。
ただ、その物語は容易に作り出せます。

売れない時代や長い下積み時代を経てきて今がある、ということを過剰に演出することもできる。
一方で、一夜にして全国区の人気者になったシンデレラガールを作り出すこともできる。
だからそういう物語には新鮮味もないしリアリティも感じない。

相対性理論には別の物語を求めている。

ここでPerfumeを出すと非常にわかりやすい。
ということを相対性理論と初音ミク関係の雑誌を読んで気がついた。

Perfumeはやっぱりアイドルだからファンの求めるフェティッシュやストーリーに応えなきゃならないんですよ。

ここで、ユリイカの初音ミク特集号でさやわかさんが書いてたこと。

-だからこそPerfumeは「紅白出場」「武道館公演」などの大時代的な物語に自らを沿わせることを志向していると言える-

なるほど。
Perfumeは若い頃からやってて、下積みが長くて、売れない時期が続いて、東京に出てきて、それでも売れずに地道に活動を続けて、そしたらネットでいろいろと話題になって、中田ヤスタカがついて、NHKで曲が使われて、ブレイクして、CD売れてライブにお客さんがたくさん入るようになって、ラジオとかテレビに出て、レギュラー番組持ったりして、紅白歌合戦に出て、武道館でコンサートやって全国をツアーで回って、というストーリーがある。
見事に大時代的な物語を志向しているし、実現しているし、しかもそれが似合ってしまう。

そういう物語が強く出てたのがやっぱり80年代のアイドルたちなのかもしれないけど。
そうするとPerfumeが80年代アイドルのアップグレード、という言い方もすごく納得できる。

ただここで自分の意見を言わせてもらえば、相対性理論は違う。
そんなストーリーは求めていない。
正確に言えば、ほんとはそういう売れ方をしたいのかもしれないけどやらない。
そういうストーリーは求められていないことを知っている。
正確に言えば、そういうストーリーを求めている理論ファンがいるかもしれない。
いや、むしろそっちのほうが大多数かもしれない。
でもそれは似合わない。
そんなストーリー求めちゃいない。
そんなストーリーは志向してない。
というか志向してないように見せてるだけかもしれないけど。

だからバンドだけとか音楽だけで食っていくとかあんまり考える必要はなくて。
それができればまぁいいのかもしれないけどできなくてもよくて。
働きながらでもいいじゃないですか。
それを言うとバンドとしての志が低い、とか言う人がいるかもしれないけどそんなねぇ、みんながみんが同じ方向を向いてなくてもいいんで、無理にそんなことさせてもつまらなくなるだけでしょ。
まずは楽しくできることがいちばんいいんですよ。
商業ベースに乗ったときは乗ったときで考えないといけないこともたくさんあるんだろうけど。

いや、相対性理論のライブを見れば昔からきっちりとライブをしてきたわけだし。
そのへんの大多数のバンドよりお客さんのためのライブをしてきたと思いますよ。
まだまだ有名じゃないからと言って内輪で盛り上がることもなく、楽屋ネタで場をつなげることもなく、ちゃんとお金を払ってライブに来てくれたお客さんに対してもう誠実すぎるほどの姿勢でライブをやってきた。

そういうことを知っているから売れることに対しての意識が希薄だから、希薄なように見えるからといって相対性理論が志が低いバンドなどとは言わせない。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その8
8.

ここまでで相対性理論現象について自分なりの考察をまとめてみたんですけど、ここからは客観性のまったくない、相対性理論に対する思い入れたっぷりで語っちゃうコーナー。

うざい。

やっぱりね、好きなバンドとかにはこちらから一方的に物語を求めちゃうじゃないですか。
反論は許さない。
求めてるんですよ。

で、バンドの場合も物語があるんですよ。

例えばね。

高校の同級生が軽音部で結成したバンドで活動開始。
最初は学園祭と路上ライブばかりやって。
高校卒業してからは進学したリ就職したり。
でもみんな音楽の道を志しているからバンドは続けて練習とライブを地道に繰り返す日々を送り。
チケットはもちろん手売りでなかなかノルマに達せず、作ったCD-Rも売れず精算するといつも赤字。
ライブのお客さんはもちろん身内ばっかり。
でもそのうちファンがついて。
ライブのお客さんが増えて。
委託販売してた自作CD-Rも意外と売れたりして。
そのうちインディーズのレーベルからCD出すことになって。
それがまた売れちゃったりして。
雑誌とかで取り上げられて。
またお客さん多くなって。
新曲出したらスマッシュヒットしてブレイクして。
CMやドラマのタイアップがついたりして。
メジャーのレコード会社に移籍して。
有名なプロデューサーやディレクターがついて。
ラジオとかに出ちゃって。
テレビにも出ちゃって。
ライブの規模もさらに大きくなって。
ワンマンライブとかして。
それでまたCDがばか売れしていつもランキング上位だったりして。
全国ツアーとかやっちゃって。
チケットはもちろん即ソールドアウトで。
武道館とか東京ドームでライブやっちゃって。
全国的に有名なバンドになって。
めでたしめでたし。


うん、そういうストーリーは、それは否定しない。

でもね。

そんなストーリーは相対性理論に求めちゃいない。

そういうストーリーを求めていなくって、演技でも演出でも作られたイメージでもいいからまた別のストーリーを提示してほしいわけですよ。
本人たちがどう考えてるとかどんな感じで売れたいとか周辺がどんなプロモーションしたいとかはあんまり関係なくて。

そんなサクセスストーリーとかシンデレラストーリーがいちばん似合うバンドは相対性理論ではなくMASS OF THE FERMENTING DREGSです。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その7
7.

相対性理論が受け入れられた理由はなんとなく納得した。
少なくとも自分ではわかった気になった。

相対性理論、ブレイクしました。

これまで見てきたように、人気が出た背景にはしっかりとした理由があるわけです。
楽曲が良くても売れないバンドがたくさんいるのは事実で、その中でも相対性理論が飛び抜けた理由はやはり相対性理論を巡る環境と受け手の感性にあったと思います。

だから売れたといっても売れたからつまらなくなった、と見放されることはなくて、従来のファン層からも支持され続けるし、さらに新しい人も入ってくる。
新加入を阻害するような閉鎖的な組織もない。
(コミュニティ的な受容のされ方をしているかどうか、という話は今のところ自分には無理なのでおいておきます。)

相対性理論は楽曲としての完成度の高さがあったけれども、ネタとして楽しめる素材を提供して、さらにそれだけのことができる、耐えられる、というだけの懐の深さも見せつつ、メジャーどころが好きな人からインディーズが好きな人から、マイノリティ指向の人から、通ぶってる人まで巻き込むことができたし、だからこそこれだけ幅広いファン層を獲得できた、と。

これは人気出ますね。
完璧です。
非の打ち所がありません。
これを最初から計算して、想定の範囲内でやってたら恐ろしいです。
要はみんな相対性理論の手のひらの上で踊らされていただけってことになりますからね。

いちばん踊らされてたのは、はい、ごめんなさい。

だからね、こっちも意外といろいろ考えて書いてるんですよ?
あほな文章ばかり垂れ流してると思われてると困るんですけど。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その6
6.

そういえば。
相対性理論の楽曲に対してなにも言及していなかった。

相対性理論の曲って純粋に曲だけ聴いてても十分に面白いんだけど、その背景にある知識がわかるとたぶんもっと楽しい。
歌詞の内容とか音とかの引用元とか。
そういう楽しみ方もあるし、それが許されている。
正解はないんだけどこういう元ネタ探しをすることが楽しいよね、ってことで。

相対性理論の曲は情報量が多いです。
すべてをあらかじめ説明してしまう情報量の多さではなくて、ぽん、と一言発すれば受け手によって勝手に解釈されて意味が増幅されて視界が開けちゃうような。

例えばね、いちいち言っていくときりがないし相対性理論のあまりに該博な知識についていけないんだけど、例えば、解答例です。

おはようオーパーツの「人造人間19号」。
これを聞いてぱっと思い浮かぶのはドラゴンボールですね。
ドクター・ゲロの作った人造人間。
かっこわるいやつ。
で、これを「人造人間」と「19号」に分けてみる。
そうすると、前者で連想するのは汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン。
後者ではAKIRAに出てくるミヤコ様。
さらに歌詞ではその後に「冷凍睡眠昼寝」と続くから、ああ、これはやっぱりAKIRAなのか、となるわけです。
そうなるとAKIRAで思い浮かぶのは鉄人28号で、この金田少年がリモコンで鉄人を操る、という構図は真部さんがやくしまるえつこさんに歌わせている、という流布されたイメージに重なります。

ね。
たぶんいろいろあるんですよ。
全部に意味づけしたがるのは悪いくせですね。

でももともとたぶんそこまでは考えてなくて。
単純に語感が面白いから、とかそういうところで決めてる感じもあって、どっちを優先させてるかはばらばらな感じがしますね。
情報の密度が一定でないというか。
この密度が一定でない感じはハイファイ新書よりもシフォン主義な感じなんですけど。

ただそのインプットに対するアウトプットが非常にひねくれているらしく、相当わかりにくいし合ってるかどうかもわからない。
多義的な解釈ができる、とすませてしまえばいいのだけどね。
あれを全部一人でカバーするのはさすがに無理です。
これも本人たちの言葉がないから周辺の人たちの知識で埋めていく、という作業ができるんですよ。
むしろそういうことができる隙をわざと提供している。
ね。
だからいろんな人がああだこうだ言える。

漫画にしても音楽にしてもこういうの好きなんだよって。
難しく見えるけど少しだけわかるでしょ?っていう問いかけが常にあるわけですよ。
それを聴いてうんうん、わかるわかるってなるっていうコミュニケーションが成立してるわけです。
向井秀徳は初期のナンバガではこういう手法で歌詞を書いてたけど最近はやめたらしいですね。
どっちがいいとかじゃないけどそういう話もあるってことで。

だから相対性理論のライブでもお客さんはただ黙って聴いてるわけじゃない。
ちゃんと受け取っている。
体の動きとして反応が表にでにくいだけ。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その5
5.

どこまで話したかといえば、相対性理論現象を引き起こした作り手のほうの話。
ここからは受け手の話。

相対性理論が現在、どのように受容されているかと言えば、やっぱり受け手の想像力、というか情報処理のリテラシーに頼ってる部分が大きいと思ってて。

受け手は、音楽だけでその実体はわからない相対性理論を楽しんでいる。
情報が少ない、わからない、知らない、その状態で楽しんでいる。
断片的な情報を集めてそれを総合して、想像することを楽しんでいる。
その過程も楽しみのうち。
だから相対性理論の場合、作りや送り手が受け手と幸福な関係を築いている、と。
この関係性は大切です。

やっぱり今の時代、知識がたくさんあったほうが偉いとか物をたくさん持ってたら偉い、とかね、記憶とか知識とか所有物に権威や特権を求めるのはかなり無意味になっちゃったので。
だから相対性理論を語る上では、前から見てた人も最近聴き始めた人も意外と平等だったりするんですよ。

得られる情報は等しい。
相対性理論については情報が少ないから誰でも断片的な情報の寄せ集めで想像することができる。
あんまり知らなくてもある程度知ったかぶって語ることもできる。
情報が少ないからみんななんでも言える。
発言力のある権威もいない。
抑圧する人もいない。

歌詞や音については深読みもいろいろな解釈もできる。
この部分はメンバーが種明かしするわけではないので正解はなくって、ほんとになにを言ってもいい。
むしろ思わぬ意味づけや解釈をしてくるほうが面白かったりする。
インプットは同じはずなのに聴く人の知識や背景によってまったくアウトプットが違ってくるこの面白さ。
たまんないですね。

相対性理論についていちばんいいところはオタク的抑圧がないところなんですよ。
いや、知らないところで抑圧されてる人たちがいるのかもしれないけどね。
ほんとに平等。
相対性理論は図らずもそういう状態を用意してしまった。
ここは自分でもいちばん気をつけてるところで、ライブたくさん見てきたぜって、見てきたんだけど、情報も持ってるぜって、持ってるんだけど、だからこれを知ってないとだめだ、とかは絶対に言いたくないし、知ってることをひけらかすまねもしたくなくて、共有できる情報は共有したらいいじゃん、という立場ですね。

最近は、情報が少なくてわからない状態で楽しんでいるところに水を差してはいけない、と思ってるので少しセーブしてますけど。
だから意外と多くを語りたがらないのですよ。
むしろライブをたくさん見てる人よりも新しい視点で見る人の方が面白いことを言い出すかもしれない。
そういう人に期待してます。

だから昔の写真とか探してきてネットで公開しちゃうような野暮なまねはしちゃだめなんですよ。
それはまったく相対性理論現象が理解できていない。
自分も参加して楽しもうとする考えがまったくない人がやることです。

つまりは相対性理論というバンドはみんながみんな好きなように想像できる余白を持っていてさらにはそういう巷にあふれる相対性理論論に耐えうるだけの強度を持っている、という話。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
みらいさん、こんばんは。その4
4.

もう一つ。
やはり相対性理論を語る上では避けて通れない戦略の話があります。
この偶然の産物と思えなくもないイメージ戦略は結果的にあまりにも巧みであった。

相対性理論は自分たちがブレイクするその直前、開戦前夜のこの感じのときに極めて良いタイミングで公表する情報を制限した。
ここで名前は知ってて曲も聴いたことあるけど誰が作ってて誰が演奏してるのか、その実体は誰もしらない相対性理論像ができあがったわけです。

これはお金をかけなくてもネットを使えばいくらでも情報が流せてプロモーションができる現在ではどちらかというと異質な利用のしかたに見えます。
相対性理論自身もどちらかというとネットを使って楽曲を配信したりしてネット経由で人気が出た、という捉え方をされており、どちらかというと積極的に利用していた感じはありました。

そこにきてこの方針転換。
なにも考えてないように見えて実は相当考えたのかもしれません。
少なくともそういったネットを使ったプロモーション活動やニコニコ動画やYouTubeなどの動画共有サイト、mixiなどのSNSの流行、といった現代のネット利用の実態を熟知している人がメンバーの中にいた、もしくは近しい人の中にいた、としか思えない。
運がよかっただけで説明するのはちょっと無理っぽい。

で、この情報を制限したことによってどんな現象が生まれたか、と言えばやはりまずはリスナーに相対性理論像を想像できる余白を与えた、ということです。
想像、妄想する余白を用意した。
もう一つ、情報を制限したことで現れた効果というのが、音楽と制作者の関係を切り離してしまったことです。

メンバーはどんな人かわからないしどんな人が作って、どんな人が歌ってるのかもわからない。
むしろ誰でもいい。
相対性理論はみんなの想像の中にあるし、それは個々人で当然違ってくる。
それでいい。
だからリスナーの想像で何者にもなれる。
そういうリスナーのフェティッシュに応えることができる。

だからこそ中の人はよけいに外に出て行けない、ということになって情報も出せないという循環があるわけです。
それはやっぱりアイドルとかアニメキャラとか声優とか、最近では初音ミクとか、そのへんと共通するところもある。
相対性理論の場合は中の人を見て期待を裏切られるようなことは決してないんですけどね。

ここでやっと初音ミクが出てきます。
初音ミクの登場と相対性理論が話題になってきた時期がほぼ一致しているのは、たぶん偶然。
でもなにかしらの相互作用はあったかもしれない。

初音ミクは設定がほとんどなかった。
提供するのは声とキービジュアルといった最低限の素材だけ。
あとは自由にやってくれ、と。
それが今のブームにつながったということは、ニコニコ動画の存在も大きいんだけど、その初音ミクを素材として使って自分たちで自由に設定を考えてキャラ付けしたり歌わせたりできたところが受けたと思うんですね。
初音ミクをうまく歌わせるのはやっぱり誰にでもできることではないしそれなりの音楽的な知識や技術も必要なんだろうけど、それができる人たちがいたし、難しくてもやろうとする人たちがいた。

初音ミク現象について詳しく知りたい人はユリイカの初音ミク特集号を読んだらいいと思います。

だから初音ミクの場合もやっぱりユーザの想像力を最大限に利用していたと。
ユーザと強固な共犯関係を結んでいた。
さらに作り手と演奏者、音楽、歌い手の関係が代替可能であることも明らかにしてしまい、従来の音楽に対する考え方を一変させるほどのインパクトがあった。
さらにそれを許容して面白がる受け手の存在があった。

これは相対性理論現象を考えるときにはたぶんみんなが指摘することでしょうね。
これ共通のフレームワークですよ。

初音ミクと相対性理論の共通点を指摘した西島大介はやっぱりすごい人です。


つづく
みらいさん、こんばんは。 comments(0) trackbacks(0)
| 1/2 | >>