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みらいさん、こんばんは。その5
5.

どこまで話したかといえば、相対性理論現象を引き起こした作り手のほうの話。
ここからは受け手の話。

相対性理論が現在、どのように受容されているかと言えば、やっぱり受け手の想像力、というか情報処理のリテラシーに頼ってる部分が大きいと思ってて。

受け手は、音楽だけでその実体はわからない相対性理論を楽しんでいる。
情報が少ない、わからない、知らない、その状態で楽しんでいる。
断片的な情報を集めてそれを総合して、想像することを楽しんでいる。
その過程も楽しみのうち。
だから相対性理論の場合、作りや送り手が受け手と幸福な関係を築いている、と。
この関係性は大切です。

やっぱり今の時代、知識がたくさんあったほうが偉いとか物をたくさん持ってたら偉い、とかね、記憶とか知識とか所有物に権威や特権を求めるのはかなり無意味になっちゃったので。
だから相対性理論を語る上では、前から見てた人も最近聴き始めた人も意外と平等だったりするんですよ。

得られる情報は等しい。
相対性理論については情報が少ないから誰でも断片的な情報の寄せ集めで想像することができる。
あんまり知らなくてもある程度知ったかぶって語ることもできる。
情報が少ないからみんななんでも言える。
発言力のある権威もいない。
抑圧する人もいない。

歌詞や音については深読みもいろいろな解釈もできる。
この部分はメンバーが種明かしするわけではないので正解はなくって、ほんとになにを言ってもいい。
むしろ思わぬ意味づけや解釈をしてくるほうが面白かったりする。
インプットは同じはずなのに聴く人の知識や背景によってまったくアウトプットが違ってくるこの面白さ。
たまんないですね。

相対性理論についていちばんいいところはオタク的抑圧がないところなんですよ。
いや、知らないところで抑圧されてる人たちがいるのかもしれないけどね。
ほんとに平等。
相対性理論は図らずもそういう状態を用意してしまった。
ここは自分でもいちばん気をつけてるところで、ライブたくさん見てきたぜって、見てきたんだけど、情報も持ってるぜって、持ってるんだけど、だからこれを知ってないとだめだ、とかは絶対に言いたくないし、知ってることをひけらかすまねもしたくなくて、共有できる情報は共有したらいいじゃん、という立場ですね。

最近は、情報が少なくてわからない状態で楽しんでいるところに水を差してはいけない、と思ってるので少しセーブしてますけど。
だから意外と多くを語りたがらないのですよ。
むしろライブをたくさん見てる人よりも新しい視点で見る人の方が面白いことを言い出すかもしれない。
そういう人に期待してます。

だから昔の写真とか探してきてネットで公開しちゃうような野暮なまねはしちゃだめなんですよ。
それはまったく相対性理論現象が理解できていない。
自分も参加して楽しもうとする考えがまったくない人がやることです。

つまりは相対性理論というバンドはみんながみんな好きなように想像できる余白を持っていてさらにはそういう巷にあふれる相対性理論論に耐えうるだけの強度を持っている、という話。


つづく
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