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後藤さんを待ちながら
人間には隠された特殊能力が、なにかのきっかけで開花することがありますな。
ジョジョで言うところのスタンドとか、ペルソナで言うところのペルソナ発動みたいな、ワンピースだとなんとかの実を食べたら手が伸びるようになったとか、X-MENで例えれば爪が伸びるのめっちゃ早いとかあるわけです。

例えば個人的な経験から言えば、去年の12月30日の夜に、潜在的なポテンシャルみたいなのが花開いたわけだ。

それがなにかっていうと、「ポケモンがやたらうまく描ける」っていう能力。

この能力がなんの役に立ったかって、甥っ子がやたら喜んだくらいしかないのですが、実は因果がめぐりめぐって今日のこの2011年10月28日、マヤ暦で人類滅亡が予言されてたなんて噂のこの日に滅亡を回避したのは、そういう去年の12月30日のリキッドルームで、ミドリの解散ライブを見たことによって覚醒した人たちのなんやかやが積み重なって、その結果で滅亡を回避したのかもしれないじゃないですか。

これが世に言うフィッシュストーリー。



気がすんだので本題に入ると、後藤さんを待っていました。
12月27日に渋谷O-EASTで主催イベント Don't disturb me!! やります。
初日の電話予約でチケット確保済み。

解散ライブのあとにクリトリック・リスのスギムが出てきて後藤まりこUFO CLUBでやろう!なんて言ってるのを見てなんで大阪人はこう最後の最後に吉本新喜劇的なノリを出してしまうんだろうと考えてしまったのですがソロでもバンドでもUFO CLUBあたりでやってくれればこんなに嬉しいことはないですわね。

(ちょっと後藤さんのUst始まったんで見なきゃ!)

風呂ロックで見たソロがすばらしすぎたのでまたああいうフォークなソロをUFO CLUBあたりでやってほしいのですがこのイベントではどうなるんですかね。

(けっこうごっついバンドでやるって言ってる!)

なんにしても楽しみなイベントですな。
回避すべきは地球の滅亡よりも忘年会だ。


そのあたりのコンビニでコピーしてきましたみたいなチラシなんだけど久しぶりにあの界隈に行ったらnest下のam/pmがなくなっていた。

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くりかえされる8月32日 よみがえれぼくのなつやすみ(4周目)
 暑い暑いと繰り返していたら8月が終わりまだまだ残暑が厳しいと汗を流していたら台風が9月をお持ち帰りして10月。涼しくもなったしもうこのまま秋が続けばいいじゃないか。いっそのこと。

 ☆

 そういえば神聖かまってちゃんの新曲を聴いたらの子の中で問題に答えが出て夏休みが終わったんじゃないかという話がしたかったんだった。

 要はの子が自分語りをする時期はとっくに終わって他人から共感される存在から他人に共感してあげる存在に変わっちゃったんじゃないかって話。

 なんで忘れてたかって思いついたときにはおもしろそうな気がしてたけどたいしておもしろくもなかったしなによりもう飽きた。

 ☆

 神聖かまってちゃんがなんでヒットしたのって話になると「ネットでの話題作り」と「共感」ってのが必ず入ってくるキーワードで、ナタリーでもなんの記事でも必ず出てくるような気がします。そういえばカミスンではひきこもり経験を歌って若者の共感を呼び大ヒット、みたいな紹介のしかたをしてましたね。

 神聖かまってちゃんが共感されて大ヒットってそりゃそうなんだろうけど今までの神聖かまってちゃんを見てるとの子は共感を得ようとはまったくしてなくて好き勝手にやってたら聞く人が勝手に共感していたように見える。例えば「死ね」はの子の言葉であっての子がそう言ったら「死ね」って思ってたけど実際に言えなかった人が自分の言えなかった事を言ってくれた、と代弁者扱いをする、の子も同じことを思ってた、と共感する。けっきょくの子の自分語りに自分を投影させての子の歌詞や言動を通じて自分で自分に共感してるように見えなくもないのですが。の子のストーリーが聴く人自身のストーリーになってた。

 まあそうするとナタリーを始めネットの音楽系サイトでも若者の共感を得て熱狂的な支持を得たって反応はそりゃそうだと。共感されてヒットしましたなんて誰かが大ヒットとばすたんびにその理由は共感されたからで片が付いちゃうんであんまりおもしろい理由でもないんだけど実際にそうなのかなあと。神聖かまってちゃんに共感するってよくわかりませんがそういう人もいるんだろうなと。

 それよりはたまに神がかった曲を作るとか高い音楽性がうけたという説明のほうがそうだよねえって思う。けーどーもー、たくさんの人が神聖かまってちゃんに共感してるということにしないと話が進まないのでねえ。

 ☆

 なんの話かって9月の末にYouTubeにアップした「鳥みたくあるいてこっ」と「ベルセウスの空」、その後1週間ほどしてもう1曲アップした「友達なんていらない死ね」の3曲を聴いての感想。

 この3曲、曲調は相変わらずの神聖かまってちゃんの曲で、ということは好きではない。神聖かまってちゃんを聴いててもだいたいはまとまりがないというか、通して聴くとものすごく散らかってるとか、歌詞やメロディーがものすごく一本道な印象が強いんであまりおもしろみを感じないし1曲通して聴くのも飽きてしまう。黒いたまごや夜空の虫とどこまでもを聴くと天才だとしか思えないし美ちなる方へや死にたい季節なんてすごくいい曲なのになぜかだいたいの曲は「つまんね」としか思えない。この「つまんね」が深夜のファミレスで消費される郊外の退屈なんだよって言われるとなるほどそれっぽいねえと思うけどそういう退屈にはなるべくお近づきにはなりたくないですわね。

 一方で歌詞を読むとこれまでとずいぶんと印象が変わっている。

 特に鳥みたいにあるいてこっではの子が聞く人に対してものすごく歩み寄ってる気はします。君たちのこともわかるよって共感してあげるよって世の中は厳しいけど一緒に歩いて行こうって語りかけているようにしか聴こえなかった。はーこんなこと言うんだって。今までは「ぼく=の子」でしかなかったのが「ぼく=神聖かまってちゃんを聴いている人」にもなるように意識してるのかなと。しかも観察してるだけでは君がいるストーリーに僕は会えないというようなことを歌うとは思わなかった。動かないと僕は君に会えないし君も僕に会えないってなんか前向きになったじゃないですか。少女ファイトで由良木が俺もサラちゃんの世界の登場人物になりたいみたいなことを言ってたのを思い出しますね。

 ベルセウスの空はたぶん物語を語ろうとしている。けっきょくの子の自分語りなのかもしれないけど、死ぬとか死ねとか死にたいとか直接的に歌ってたり自分の問題やら悩みやらを具体的に歌ってたりしてたのがここでは抽象的に語ることで問題意識の小ささをもっと普遍的とか一般的とか大きなところに持って行こうとしたのかなと。よくわかんないんだけどさあ、それっぽいじゃないですかそういう説明すると。私小説的であるとするならフィクションの配分が大きい。曲調もゲーム音楽とかアニメソング的な壮大さを感じるんで物語を語ろうとする意識があるような気がする。DJみさこがサンホラ好きだって言ってたんで曲にストーリー性をもたせようとした気がする。

 ただこの2曲って言葉づかいがクリシェっぽい感じはします。言葉の組み合わせのおもしろみは感じない。こういうクリシェがカモフラージュで実はその比喩で解釈するとわからない何かがあるんだよってそこまでうがった見方をする必要はなくて、なぜならばそこまでするとの子にしかわからないってことになってそれを独りよがりと呼ぶんだよね。従来の解釈するフレームから飛び出したいるから従来の解釈が成り立たない、新しい表現の地平を開いたとかそんな感じのことどっかに書いてありそうじゃないですか、でもそこまでぐちゃぐちゃ言わないと肯定できないってのは実はそんなにおもしろくないんじゃないのって気はしてる。悪く言えば陳腐なんだけど良く言えば他人に伝わることを最優先して独りよがりから脱却した。

 この2曲のあとだと友達なんていらない死ねは死ねがファンサービスになってるんじゃないのかなって。歌詞を読むと夕方のピアノみたいに誰かに死ねと言ってるのではないと思うので。タンバリンで首を吊って死んじゃった君に捧げるなんとかじゃんね。たぶん。要はの子が死ねって思ったから死ねって歌ってるんじゃなくてぼくはもうその時期は過ぎたけどきみたちは死ねって言いたい相手がいる、だから代わりにぼくが叫んでやるよってのがたぶん今。

 ☆

 ひとことで言えばの子ってもう今までの問題に答えが出ちゃったんだなって。みんなが大好きな新世紀エヴァンゲリオンで例えると、テレビ版の最終回でシンジくんがおめでとう!ってみんなに言われて拍手された、あの状態をすぎたんじゃないかなと。だからと言ってまだわからないお前らばかとか言わずに君たちはこう考えてるんだよねっていうところに行ったような気がする。

 の子のなにがどう変わったかどうかはおいといて、僕が行くか行かないのかってだけでストーリーには2ページ目があるなんて歌ったらそりゃの子はストーリーの2ページ目に行ったんだよねって思いますよね。代弁者であることを自覚して振る舞ってる、でその状態で作った曲がこの3曲ってなればなるほどねーって。

 そういえば昔々の話になるけどいがらしみきおのぼのぼのが好きな男の子が言っていた。「ぼのぼのはぼくのやりたいことを代わりにやってくれる」。実はぼのぼのまったくと言っていいほど読んでないんでこの少年の言葉の意味がいまだによくわかりませんが、神聖かまってちゃんもそういうバンドなんじゃないのかなって。の子=ぼのぼのでそんなに外れてない気がする。

 ☆

 最近いろいろと愚痴を言ってても始まらないので心を入れ替えて「floating view 郊外からうまれるアート」なんて読んでみたりしてて、ここまで筆舌を尽くさないと肯定できない郊外ってなによってやっぱりだめじゃんって思いを新たにしました。そもそもアートがうまれるのに郊外をポジティブに捉える必要なんてなくてそれこそみんな死ねとかつまんねとかお前ら嫌いとか滅びろとかそんなネガティブな感情でもアートになるんじゃないのって。神聖かまってちゃんがわからないなんて言ってる人は郊外に住むか千葉ニュータウンにでも巡礼に行くとよくわかるようになると思います。

 なので郊外からうまれるアート、なんてのがあるとしたら神聖かまってちゃんはたぶん最先端ですね。

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アゴラの支援会員になる
 

今月末から始まる青年団のソウル市民5部作連続上演に合わせてこまばアゴラの支援会員になりました。
会員になって行くほうが金銭的に安いというきわめて現実的かつ妥当な判断ですね!
短期間に5本観ることが現実的かつ妥当な判断かはおいといて。

今までで行った回数がいちばん多い劇場はこまばアゴラ。
これは間違いない。

今までで観た回数がいちばん多い劇団は青年団だと思います。
最近だとバルカン動物園は行った。
革命日記は行けなかった。
その前のカガクするココロと北限の猿は行った。
多いっていっても実はそれほど多くないな。

でもソウル市民はテレビ放送で1回見たことがあるかないかくらい。
5部作のうち4作は初見。
東京ノートもテレビ放送を見ただけなので再演あれば行きたいのですがないね。
そういえば1990年代のあの頃だとNHKのBSの深夜の映画と演劇の放送ばっかり見てたんでした。

一緒にもらった会員通信にはマームとジプシーの藤田貴大インタビューが載ってました。
先週末アゴラにマームとジプシーの「Kと真夜中のほとりで」を衝動的に観に行ったらこれがものすごくおもしろくて、好みにもばっちり合ってたし、マームとジプシーの話しかする気にならないですね。今ね。

まあついにアゴラの支援会員になったって話なんだけど先週末アゴラに衝動的に観に行ったマームとジプシーがものすごくおもしろくてさぁ、

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くりかえされる8月32日 よみがえれぼくのなつやすみ(3周目)
 振り返ってみれば顔を見れば暑いねえと挨拶し誰の顔を見なくても暑い暑いと繰り返していたら8月が終わっていた。まったく関東平野の天候は加減というものを知らない。そういえばこの8月には10年近くもかかってしまったお蔵出しを終えたのだった。夏休みの課題が終われば夏休みが終わる。そこでやっと壁にかけてあった8月のカレンダーをめくって9月に入ったわけだ。主観的な時間の長さは人によって違うと思いなよ。なんとなれば毎日が夏休み。しかしまだ9月のカレンダーはめくっていない。もうしばらくは残暑が続いていてもいいじゃないか。

 ☆

 夏休みで思い出した。

 神聖かまってちゃんの新曲を聴いたらの子の中で問題に答えが出て夏休みが終わったんじゃないかという話がしたかったんだった。

 要はの子が自分語りをする時期はとっくに終わって聴く人に共感される存在から聴く人に共感してあげる存在に変わっちゃったんじゃないかって話。

 ☆

 やっぱりネットが普及したことによって個々人が情報を全世界に発信して共有する手段を手に入れたじゃないですか。そしたらバンド活動でもなんでも、見栄えの善し悪しは当然あるけども、自分で情報を発信して流通させることができるようになった。音楽だってテレビやらラジオやらCDやら既存のメディアで流通してなくてもネットの上では話題になってたりメジャーもインディーズも公式も非公式もオリジナルも二次創作もサブテキストも入り乱れてものすごい量の情報が流通するようになった。

 当然ネットから火がついて大ヒットなんてことも起こりうるわけで、例えば相対性理論のこれまでの経緯を振り返ればまずネットで音源が大量にダウンロードされ並行してCD-Rが売れまくり、その後は本人たちはまったく姿を現さないし情報も出さないのにライブでの目撃情報や曲をめぐるいろいろな感想やメンバーの背景に関する妄想がネットの上で増殖して溢れた結果がすっかり人気ものになっちゃいましたね。バンドの活動として曲とライブとCDってそれだけではなくてネットの上での相対性理論語りが積み重なって行く過程もおもしろかったと言える。ここまで語られる話題の尽きないバンドも珍しいのではないか。それはまた別の話にするとして。

 このネットを使ったDIYな情報発信ができる、ようになった、できの善し悪しはあるにしても、ということで実際に積極的に利用したのが神聖かまってちゃんで、mf247やらaudioleafで曲を配信したりニコニコ動画にPVを作ってはアップしてた。今までにオリジナルで50本くらいはあるんですかね。数えてないけど。さらに曲とPVをアップするだけでなくてニコニコ生放送でライブでも私生活でもなんでもかんでも配信した。今でもしている。いつでもなにかしら配信しているからすでになにが配信されているのか把握できていない。

 ☆

 しかしだいたいこのあたりの話なんてクイックジャパンとかそのあたりの雑誌に書いてあるはずなんでわざわざ書く必要もないしあまりにも今さらだしなによりの子の作る曲が変わったよねって前ふりにつながらないのでやりなおします。
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宇宙人がやって来る ベントラー!ベントラー!ベントラー! 3


 終わり終わりー尾張名古屋は城でもつーとか言いながらライブ日記っぽく会場の写真とかそろそろ載せたいですね。なので100人いたらそのうち96人が撮るような看板の写真を撮ってきたのでアップしておきます。残りの4人のうち3人はそもそも写真撮らないしって言います。これは好きな食べ物を聞いたらそもそも食べるの嫌いだしっていうタイプです。ひねくれてますね。残りの1人くらいは同じ看板を撮ってもおもしろくなるかもしれない。まあ世の中はだいたいにしてそんなもんだ。
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宇宙人がやって来る ベントラー!ベントラー!ベントラー! 2
 つなぎを着た3人組みがベントラーベントラーしてUFO呼んでる間にいろいろあって、UFOにさらわれた牛を追いかけたり宇宙に行ったり冷蔵庫の中に隠れたら1万年くらい経ってたりして、開演時間を少し過ぎてから入場。

 なーんつって。

 開演に間に合って入れなかったのはほんと。階段を降りていくときに自己紹介をしているような声が聞こえ、入ったら始まっていた。

 少しの間違いはあるかもしれないけど当日のセットリストはこちら。たぶん11曲でこの順番。約1時間のライブでした。



1. おばけ
2. キンバリー先生と朝食
3. ヤノコーイチ
4. ふりかえる、フレネミー
5. あこがれのネクタイ
6. 未収録曲 (エイの裏のような生き物はいない)
7. 生活ガイド
8. ヘヴィ〜メタルバイオレンス
9. 脳がかゆい
10. 点
11. アメーバダンス



 初めて見るライブでの宇宙人は想像していた以上にものすごくがっつり演奏するバンドでした。ふわふわしてるようでまったく隙がない。曲の始まりからボーカルの入り方から間奏から終わりまでずれない。たぶん音を合わせるタイミングが完璧で、こういう演奏されるとすごいなあってにやにやしてしまう。

 ボーカルはまさに脱力系でゆるふわ感たっぷり、どうやら不思議ちゃんらしく曲の途中によそ見するし頭かいてみたり「F…F…」とか「脳がかゆい」とかたまに喋る。でもリズムはすごくきっちりしてるように聞こえる。ギターとベースとドラムは黙々と弾きまくり叩きまくり。

 不思議なのが曲の合間に適当に音を出してるように見えるのになぜかぴったりのタイミングで曲に入るところ。始めるよ!ってきっかけが見えないのになぜかばしっと決まる。呼吸がつかめない。でもずれない。あれはきっとテレパシー。もしくはみんな情報統合思念体の端末でクラウドで同期してる。しのさきあさこリアル雲ガール。

 宇宙人を見てて思い出すのはZAZEN BOYSで、テクニカルにおもしろい。それにバンドの鉄壁感があるように思います。演奏にゆるさなんて微塵も感じない。宇宙人を単に相対性理論みたいなバンドって言えば簡単なんだけどそれはイメージに引きずられすぎではないの。

 それに宇宙人をめぐる数少ない目撃情報を総合するとメンバーそれぞれにいろいろキャリアがあるっぽい。フジロックのライブでも苗場に高知の風を吹かせたらしい。知らないだけで高知のオールスター的バンドだったらどうしましょう。どうしますか。

 でもいかにして宇宙人になったかなんて、その正体がどうだなんて、そんなとこ一生懸命突き詰めても野暮で無粋なんじゃないの。嘘だあとか言いながら虚々実々入り乱れた証言に楽しく騙されたらいいんじゃないの。このあたりは相対性理論的ではある。

 宇宙人の次のライブはいつかなと思ったら10/9に渋谷タワレコのインストア、もう過ぎていた。インストアなのでそもそも行けませんでしたけども。

 その後は14、16で大阪、29日からの3日間はトゥーピュアピュアボーイズバンド透明雑誌 from 台湾のツアーに同行して京都、名古屋、東京で。京都と名古屋では進行方向別通行区分も出演します。たしかに進行方向別通行区分もテクニカルにうまいバンドだから合うかもしれません。東京のライブはチケット取りました。

 ほんとのところはUFO CLUBあたりでやらないかなと思ってる。宇宙人なだけに、とかそういうことじゃなくて。

 とりあえずムーを読んでオカルティックな陰謀論的想像力を鍛えてUFOを呼ぶために秋の高尾山で合同ハイキングを開催するのでみなさん参加してください。その後の痴情のもつれによる内ゲバの用意もよろしく。

 宇宙人のあとはPOLYSICSを最後まで見て帰りました。終わり終わり。
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宇宙人がやって来る ベントラー!ベントラー!ベントラー! 1
 思い出せば8月31日、不自然な夢をみて目が覚めると部屋の中にミステリーサークルができていた。そのミステリーサークルは少し傾のような気がしたが、その日は先生と朝食の予定があり、少しおくれそうな気がしたので急いで水玉もようのネクタイを締め、ミステリーサークルはそのままにして部屋を出た。

 部屋から出てドアを閉めると今まで見たこともない、例えるならエイの裏のような生き物が目の前を走って通りすぎて階段を登っていった。気になったので追いかけてみると壁に開いた小さな穴をくぐって屋上へ出ていった。なにかとんでもないことがおきている予感がしたのでその生き物に続いて屋上へ出ようとしたがなぜかドアが開かなかった。

 エイの裏のような生き物が通った穴を通れればいいのだが体に対して穴が小さすぎる。なにかないかと周りを見るとなぜか踊り場にお茶会の用意がしてありワゴンにはバームクーヘンと飴が乗っていてしかも「食べて」と書いてあった。バームクーヘンの味には飽きていたので飴をなめてみるとあいまいな味がして気がついたら体が小さくなっていた。

 小さくなったのでそのトンネルのような穴をくぐりぬけるともうエイの裏のような生き物はもういないようだった。その代わりに屋上では入れ墨の侍がお香を焚いていて呪文のような言葉を繰り返し呟いていた。それを見ているうちに太陽が揺れはじめ、空はだんだん明るくなり目も開けていられないほどにまぶしくなった。

「思い出せるのはここまで。気がついたら10月2日だったんです。ああ、脳がかゆい。頭の中でアメーバが踊っているようだ」

「あなた疲れてるのよ」

 ☆

 宇宙人に遭遇してきました。初めて曲を聞いたのが7月末だったか8月頭、これはものすごくおもしろいバンドだ、追いかけなければならぬ、ということでさっそくライブのチケットを取って行ってきました。下北沢CLUB QueでPOLYSICSの対バンシリーズ「A Touch and Go!!! Vol.3」に出演です。

 初めてみる宇宙人、想像以上にがっつりしたバンドで、演奏力高い、完成度高い、隙がない。ボーカルもふわふわしてるようで演奏にばっちりタイミング合わせて入ってくる。曲と曲の間もそんなにしゃべるわけでもなく、楽器隊も適当に音を出してるように見えて唐突に完璧に曲が始まる瞬間の意味のわからなさ。

 ものすごくよかった!

 しかもCLUB Queは満員だったのですが宇宙人の立ち居振る舞いは言ってみればたしかに大舞台にも自然体みたいなそういうとこありましたね。まだ第三種接近遭遇くらいで第四種までいってないんで真意はわかりかねますが。

 詳しい目撃証言はまた次回。つづくよ。
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くりかえされる8月32日 よみがえれぼくのなつやすみ(2周目)
 まったく生産性のかけらもなく8月が終わって9月もそろそろ終わり、振り返ってみれば8月は暑い暑いで9月に入っても暑い暑いで台風が来て過ぎていったら少し寒くなりすぎだ。関東平野の天候は加減というものを知らない。もう秋を通り越して冬でもいいじゃないか。いっそのこと。

 ☆

 はてさて1ヶ月もブログもさぼってなぜならばって忙しかったからでそうするとネットの世界に埋没することもできず、日々の閉塞感を打破するためにも遊びに出ねばならず、この無限に続くかのように思える時間のわずかな一部分である我が人生の有限の時間をどのように振り分ければ有意義な余生が送れるかを考えたときにちょっと優先順位が低かった。

 やっぱりネットが普及したことによって個々人の時間の振り分け方が変わってしまってテレビ離れが進んだとか言われてるじゃないですか[要出典]。その他にも地デジ化に伴ってテレビ離れが進んだとかおもしろい番組がないからテレビ離れが進んだとかマスコミ不信が高まりテレビ離れが進んだとかなんだかんだ理由はあっても結論としてテレビ離れが進んでるみたいじゃないですか。うちにはテレビがないのでよく知らないけど。

 そういえば神聖かまってちゃんが「8月32日へ」を出してテレビ出演もしましたね。神聖かまってちゃんは曲はいいし、すべていいとは言わないしまとめて聴くと飽きてくるけど、の子は素人目に見ても天才だし、いいバンドだと思います。ただバンドの活動を見てても楽しくないから追いかける気にならない。

 それでこの前の神聖かまってちゃんの「放送事故」と騒がれていたテレビ出演の動画と、それをめぐるネット上の反応のあれやこれやを見てると、今まで神聖かまってちゃんの活動を見てても楽しくないと思ってたその楽しくない部分がよく出てたなと思って。

 要は神聖かまってちゃんの逸脱はそれほど過激とも思えないし、意図していようがなかろうが、戦略的であろうがなかろうが、それに乗っかる楽しさや騙される楽しさをまったく感じないという話。

 ☆

 事の始まりはいつだったかな、神聖かまってちゃんがTBSのカミスンって生放送のテレビ番組に出演して大暴れで放送事故だってネットで話題になってて。だいたい神聖かまってちゃんがテレビに出てたことも知らなかったんですが終わってみるとネットでは放送事故だなんだ騒がれていた。これがどんなもんかと思ってYouTubeにアップされていた動画を見てみると、著作権法とか大丈夫ですかねNo more 映画泥棒のあの人が夜中に来るんじゃないかなと思って、ガオーさんとどっちが怖いかって話ですよね、まあなんにしろその番組のかまってちゃん出演部分を見たわけだ。

 まず話題の動画を見た感想として、予想してた内容とまったく違っていて、期待していたほどおもしろくなかった。大暴れとか放送事故と騒がれていたのにあの程度かと。それにあのパフォーマンスをロックだのパンクだのと呼ぶ気にもならない。

 規制のルールやら概念に反抗すればロックであったりパンクであったりするのかもしれない。打ち合わせやらリハーサルやら進行やら、それからテレビ出演のお約束を破った、ということで言えば放送事故かもしれない。それでその行為はルールを知ってる人からみればものすごい逸脱なのかもしれない。しかし残念なことにそんなルールなんて共有していない。しかも残念ながら神聖かまってちゃんがあの番組で破ったお約束なんて業界内でしか通じないローカルルールであったり瑣末な価値観であったり、その程度にしか思えない。

 そしたら神聖かまってちゃんがやりなおし再出演なんて情報が流れてきた。このときに、例えばナタリーの記事だと放送事故だとか破天荒なパフォーマンスで視聴者の度肝を抜いたとか書かれててそれはあまりにも大げさすぎないかい?と思ったわけ。テレビであんなむちゃくちゃなことやったんだからもう出ません出しませんじゃなくてもう1回出てやりなおしってところがマッチポンプ的というか炎上マーケティング的に見えてしまってさらに興味を失った。

 どうやら再出演のときには通して演奏をしたらしいけども、すでにその時にはどうでもいいというかまともな演奏をしてもそうでなくてもそんなにおもしろくなる気がしないというか、そもそもなにもやりなおすところなんてなかったじゃない。

 あれが完全に話題作りでもなんでも、これやったらおもしろいよねって本気で考えてたり神聖かまってちゃんはこういうバンドだからこう見せよう、でやってたとするとアピールするところ間違ってるんじゃないの?としか思えない。曲はすごくいいんだからあんな話題作りしなくてもテレビに出るときくらいきっちり演奏したらいいと思うんですけどね。たぶん多くの人が見たかったのとは違うと思うんだけどどうかな。神聖かまってちゃんの扱われかたってすごくもったいない気はしてる。

 なのでこのやり方はわかってても騙されたい、と思うほどのおもしろみを感じない。意図とか戦略とかあったとしても、その戦略に乗っかる楽しさとか騙される楽しさを感じない。

 ☆

 おもしろかった!とか好きです!じゃないんだからわざわざいまいち楽しくない理由なんて書かなくてもいいんだけどかまってあげないといけないのかなと思って。絶賛なり否定なりつまんねなりみんな死ねなりなにかしら反応してあげないといけないかなと思って。

 ほらかまってちゃんだから。
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